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「深夜特急」の世界に憧れて (回想録 XX年)
旅行代理店が開くまで、この通りにしては少し垢抜けた感じのするビジネスホテルのロビーにあるコーヒー店で時間をつぶすことにした。

その時、頭の中にあったのは、「今日、これからどうするか?」
と言うことよりも、
「明日、ダッカに着いてからどうするか?」
と言うことだった。

何せ、バングラデシュなのだ!
タイやミャンマーとは、相当違った光景を目の当たりにすることになるのだ。
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昨晩は、あれほど屋台が並んで世界中の旅行者たちで、不夜城のようになっていた通りが、ウソのように静まり返っていた。

屋台には、シートがかけられていて、すべて閉まっていた。
どこか、朝飯でも食べられる店でもないだろうか?

しかし、それでも気の早い旅行者たちは、どこに出発するのか、荷物を並べてバスを待っているようだ。

ちょうど今、5時半だが、今日は1日、バンコク市内を回ろうと私は考えていた。
「フローティングマーケット」
時間外で電気の消えた旅行代理店の窓ガラスに、チャオプラヤー川の写真が貼ってあった。

枕元に置いてある腕時計に手を伸ばして見てみると、まだ5時を少し回ったところだった。

「蒸し暑さ」と「蚊」に悩まされて、完全に目が覚めてしまったものの、「すること」が無いのだ。

朝食が始まるのは7時だったし、昨日、予約したチケット屋が開くのは9時だ。

「困った。」
仕方なく、表のカオサン通りにでも歩くか。

そして、フロントで仮眠しながら番をしている男性に言って、鍵を開けてもらい、表通りに出たのだ。

フローティングマーケット

その日の晩は、とても寝苦しい夜だった。

何時ごろだったか?

オンボロながらも、深夜まで順調に動いていたエアコンが突然動かなくなり、それでも別段気にせずに寝ていると、真綿で首を絞められるかのごとく、室温が上がってゆく。

オマケに、どこからともなく「蚊」がやってきて、頭の回りを飛び続けるのだ。

安ゲストハウスとは、こんなものだ。
そう自分に言い聞かすものの、

「蚊」の攻撃から逃れるために、シーツを頭までかぶると、今度は暑さのため余計に苦しい。

おかげで、夜が明ける頃には、完全に目が覚めてしまうハメになってしまった。

タイ伝統舞踊

どうやら、このカトマンズ行きのチケットは、明後日の12:25発のビーマンバングラデシュ航空89便らしい。

そして、ダッカには3日間のストップオーバーにしてもらい、合わせてダッカ-カトマンズ間の予約もリクエストしてもらった。

ダッカから先の便の予約は、バングラデシュ本国にリクエストするらしく、結果がわかるまで1時間くらいかかると言うのだ。

「チケットは、明日の朝取りに来てください。」
そう言って、店員は預かり証を私にくれた。

さすが、カオサン通りだ。
こんな時間からでも、とんとん拍子で事が運んだのだ。

見つけたチケット屋の前には、
「バンコク-ロサンゼルス200ドル」とか
「バンコク-ロンドン220ドル」などと
信じられない値段が書かれた紙が貼られてあった。

「ダッカかコロンボまででしたね」
そう言って、手元にあるメモ用紙に何か数字を書きはじめた。

「CMB-CX 6200」
「DAC-BG4500」
要するに、コロンボまでキャセイ航空で6200バーツ、ダッカまでバングラデシュ航空で4500バーツという意味だった。

「お客さん。ダッカから先、もし、カトマンズまで行くんだったら、もう500バーツ追加するだけで、バングラデシュ航空安いですよ!もちろん、ダッカでストップオーバー出来ますから」

結果は言うまでもなかった。
「ダッカ経由カトマンズでお願いします」

カオサン通りから路地を少し入ったところにある小さなゲストハウスに荷物をおろした私は、早速、航空券を探すために歩き始めた。

表通りはもちろん、一筋なかに入るとさらにたくさんの旅行代理店が軒を連ねている。

そこで私は、カオサン通りを東に一筋入ったところにある雰囲気の良さそうな、カウンターだけの旅行代理店で尋ねてみた。

「ダッカかコロンボまでの安いチケットを探しているんですが.............」

「たくさんありますよ!
まあ、かけてください」
店員はそう言って、パソコンを叩きはじめた。

無数に並ぶ土産物屋、レストラン、旅行代理店、ゲストハウス..............

ここにいて、揃わないものは無い。

別に、特別な用事がなくても、この通りにやってきて、道路上に設けられたカフェに落ち着いて、地図などに目をやるのが、私は好きだ。

無理に、辺境の地に行かなくても、ここにさえ居れば、いつでもチケットは手に入るし、世界中から集まった旅行者から様々な情報が入る。

ここは、「旅行の原点」とも言える場所なのだ。
そういう意味では、ここが本当の「出発点」とも言える場所なのかもしれない。

「カオサン通り」の北側の端に降り立ったころには、もう午後5時を過ぎていた。

「これが、カオサン通りか..............」

カオサン通りというと、どんな大きなところかと思っていたのだが、実際はわずか200メートルくらいの短い通りだった。

しかし、通りの端には、車両が進入できないように車止めが置かれていて、歩行者天国になっている。

そして、そこには世界中の様々な国からの旅行者たちが闊歩していたのだ。
「この場に自分がいるだけでも、十分世界を感じることができるではないか..............」と私は思った。

エメラルド寺院

ワットトライミットの近くから乗ったトゥクトゥクは、あの原付バイク特有の軽いエンジン音を響かせて、「チャルンクルン通り」を西へ走った。

見かけは、バイクとも自動車とも言えない実に滑稽な乗り物だ。

わかりやすく言うと、原付バイクの後ろに客が3~4人乗れるように屋根付きの荷車らしきものを取り付けてあるのだ。

走行中は、熱帯地方の湿った風が顔に吹き付け、妙な心地よさだが、スコールが来た時には悲惨なことになる。

エメラルド寺院

「ワットトライミット」を出てしばらく歩いた私は、「流し」のトゥクトゥクを捕まえた。

「カオサン ストリート」

「100バーツ!」
即座に返事が返ってきた。

間髪いれずに「50バーツでどうだ」と返した。

運転手は、少しイヤな顔をしたが、
「70バーツ、ラストプライス」

結局、70バーツ支払うことになったのだが、こんなやりとりが私はとても楽しくて止められないのだ。

ワットアルン
(手前はチャオプラヤー川)

「ワットトライミット」では、わずかばかりのお布施をすると、金箔をもらえる。

そして、その「金箔」を自ら仏様に貼り付けることができるのだ。

この寺院は、バンコクの中でも代表的な観光地らしく、たくさんの外国人観光客が押しかけていたが、彼らもまた「金箔」貼りを楽しんでいた。

しかし、白人達はどう思って「金箔」を貼り付けていたのだろうか?
どう見ても、単なる「エンターテインメント」としてしか見ていないような気がした..............

ワットトライミット

ファラポーン中央駅を出た私は、しばらくチャイナタウンのメイン通り「ラーマ4世通り」を、西の方向に歩いた。

通りの両側には、貴金属を扱う店が軒を連ねていて、とても眩しい。
それも特に「ゴールド」がほとんどだ。

中華系の人々が、いかにキンピカの「ゴールド」が好きなのかが、良くわかる。

そのためなのか、すぐそばには、純金を使って作られた仏様を祀る「ワットトライミット」があった。

ワットトライミット

駅を出て、私は西に広がるチャイナタウンの方へ歩くことにした。

重たい荷物を持っていたので、本当はすぐにでも、駅前で客待ちをしている「トゥクトゥク」を捕まえてカオサン通りへ向かいたかったのだが、本能的にヤバいと思ったのだ。

群がってくる運転手たちは、これまでにもあまり良い思い出がないので、少し歩いて「流し」を捕まえようと、その時は思った。

ワットトライミット
(ファラポーン中央駅すぐそば)

列車は、途中、空港のある「ドンムアン駅」に一度停車して、終点の「ファラポーン中央駅」に滑り込んだ。

ここまでは、約1時間の旅だったが、バンパイン駅で、案の定遅れてきた列車にちょうど乗ることができたので、たいした疲労感もない。

列車を降り、他の乗客とともに改札口を抜けると、タイの首都の中央駅らしく、混沌とした光景が広がっていた。

バンパイン駅のシステムは、とてもおもしろい。

「下り」列車のダイヤは、すべて「ファラポーン中央駅」発なので、よほどの事が無い限り、遅れるようなことはないのだけれど、「上り」となるとそうはいかない。

「上り」列車の始発駅は、北部山岳地帯が多いので、ここに到達する頃には、相当遅れてしまっているのだ。

「タイ」の国鉄は、大抵、改札口の上に「上り」と「下り」それぞれ先発列車の時刻を表示するボードが、ぶら下がっているのだけれど、「上り」の部分には、いつも紙が貼られてある。

そこには、多分これくらいに到着するだろうという「予想時刻」が、書かれてあるのだ。

2時間ほどで、私は、バンパイン離宮をあとにした。

そして、またもと来た道を駅まで戻る。

この先は、とにかくバンコクを目指して、汽車に乗ることになるのだが、この辺りの駅での、「上り」すなわちバンコク方面「ファラポーン中央駅」行きの列車は、「遅れる」ことで有名だ。

ほとんどの列車が、北部方面の遠いところからやってくるため、大抵は大幅に遅れてやってくる。

だから、駅にある「時刻表」は、何の役にも立たないのだ。


プラ-ティナン-アイサワン-ティッパアト


これは、池の中央にある十字型の美しいタイ建築で、ラーマ4世がバンコクの王宮中に建てたアーポーン-ピモーク-プラサートをコピーしたもの。

中には、軍服姿ラーマ5世の像があった。

これこそ、タイに来た!という感覚にさせてくれる。


プラ-ティナン-ワローパート-ピマーン


宮殿入口の北側にある、この西洋風の建物は、王様の居間として主に使われていたらしい。

待合室には、タイの歴史や文学から題材をとった油絵が多数飾られていた。

バンパイン離宮の中を歩いていると、ここが本当にタイなのか、わからなくなってきそうだ。

かつての王様も、ここに居ながら、そのような「異国情緒」を求めたのだろう。


プラ-ティナン-ウェーハート-チャムルーン


ここは、雨期の住居として使用されたものだ。

中に入ると、中国風の床のタイルに、美しい鳥や木や動物が描かれていた。

そして、竜模様のついたて、中国風の玉座、日本の伊万里焼や明治時代の壺、王様の寝台などが展示されていた。

「伊万里焼?」と思ったが、その時、かつて歴史で学んだ「山田長政の日本人町」のことを思い出したのだった。

バンパイン離宮は、ブラサートトーン王によって、チャオプラヤー川の中洲に、1876年に築いたとされている。

100バーツの入場料を支払って、入ってみると、外界からは全く想像出来ないような
、緑の多い、よく手入れのされた宮殿だった。

たぶん、日本で言えば「京都御所」といったところなのだろうか..............。

昼に近づき、気温がどんどん上昇するにもかかわらず、私は広い庭園の中に点在する建物を、精力的にまわった。




バンパイン離宮は、駅から歩いて15分くらいのところにあった。

前日とは違い、その日はすべての荷物をリュックに詰めてあったので、思った以上に肩に力が食い込んで痛い。

こうなると、いつも思うのだが、「どうして、こんな不必要なものまで、いっぱい持ってきてしまったんだろう..............」

しかし、それとともに、思い切って捨ててしまえない自分にも、もどかしかった。

そして、南国の強烈な太陽光線にやられて、体力が消耗しそうなので、できるだけ私はカゲを探して歩いた。

乗り物ならすぐに思える距離なのに、その日はヤケに遠く思えた。





「ソンテウ」は、「背の低いダンプカー」といった風貌だった。

本来なら、砂利やら土を盛り上げるあの荷台の部分に屋根が取り付けてあり、両サイドに長いベンチがついている。

私が乗り込む時点では、まだ誰もいなかったから、真っ黒に日焼けしたドライバーにあれこれ質問して、情報を仕入れることが出来た。

「バンパインに行くなら、電車の方が早いよ! 15分くらいだ」そうドライバーが言った。

「それは、知ってるけど、まあ、急ぐ旅でもないし..............」

私は、ドライバーに15バーツ支払いながら、そう言った。


翌日、私は「バンパイン離宮」に向かった。

前日、自転車屋のマスターが絶賛していたからだが、ここからはバンコクの方向に20キロほど戻らなければならないのだ。

だから、アユタヤをあとにして、バンパインを経由してバンコクに向かおう。

朝、ホテルをチェックアウトした私は、マスターに教えてもらったチャオプロム市場横の、「ソンテウ」乗り場まで歩いた。

尋ねてみると、バンパインまでは15バーツで、所要50分ということだった。

ただし、お客が満員にならないと出発しないという事実を知ってしまった。


バンパイン離宮

現地の人しかやって来ない市場というのは、実に穏やかである。

一見、不特定多数の人々が激しく出入りするから、危険に見えないことはないけれど、主に客が主婦であるということと、市場の中に店を構えているたくさんの店主が、目を光らせている。

「旅行者」にとって、あまり悪いやつらがいないのである。

だから、「市場」の中というのは、長旅をしている者にとっては、ある意味において「オアシス」的存在なのだ。

その「オアシス」の中で、「海老」の殻を剥きながら、往来する人々を眺めていた。

至福のひとときである。





敷き詰められた氷の上に、海のものなのか、川のものなのか、よくわからない様々な色の魚が並べられている。

その銀色の台のすぐそばに、無造作に置かれていた丸イスに、腰を落ち着けて周りを眺めながら、「海老」が焼けるのを待った。

こちらの魚屋は、日本のように「ケース」には入れられてはいない。
だから、当然、保冷という観点からは、日持ちが悪いだろうから、女主人も大変だ!

とにかく、その日中に、仕入れた魚を全部売ってしまわねばならないのだ。

前を通る客全員に、全力で売り込んでいるのが、よく伝わってくる。

子供の頃からそうだったのだが、大人が働いているところを、そばで見ていることが私は好きだった。

だから、ここでこうやって眺めていると、妙に気が落ち着いた。

そうこうしているうちに、例の「海老」が焼きあがったようだ。





偶然、通りかかった魚屋の前で、私は立ち止まった。

恐らくは、アツアツに熱せられているであろうバーベキュー用の「網」の上に、今まさに立派な「海老」が載せられようとしているところだった。

自然と立ち止まり、今行われていることに意識が引きつけられる。

あろうことか、もうとっくに死んでいると思われた「海老」は、熱せられて赤くなった「網」の上で、勢いよく、尾をうごかし始めたではないか!

そのためなのか、魚屋の女主人は、「海老」の触角をしばらく持ったまま離さなかった。

「海老」が出来上がるまでの、一通りを眺めていると、網の上の「海老」は、見事なまでの「朱色」に染められた。

私は、その「海老」料理の名前を、女主人に尋ねてみた。
すると、かえってきた答えが、

「クン パオ」だった。


クンパオ


食材売り場を、ただ目的もなくさまよっていると、どこからともなく声がかかる。

「旅行者」によっては、極端にこれを嫌う人を時々見かけるが、私の場合は違った。

地元の人々の「売り込み」に、一度は「反応」してみることにしているのだ。

もちろん、その裏には、時々とんでもない「リスク」が潜んでいることは、十分に心構えした上のことではあるが..............。

この時は、食材売り場のあちこちで料理されている、地元の「お惣菜」だった。

たぶん、「お兄さん! 食べていってよ!」と言っているのだという事は、容易に判断がつく。

しかし、もしこの時、「リスク」があるとしたら、それは「衛生的問題」なのだろう。





市場に一歩足を踏み入れると、明らかに「空気」が違ったのだ。

車の走る道路ギリギリいっぱいまではみ出した「カーペット屋」

ヤカン、鍋、ホウキ..............「荒物屋」なのか?

中をのぞき込むと実に「迷路」のようになっている。

細い通路に入ると、体スレスレのところまではみ出して陳列された商品に、しだいに圧倒されて、一体今どこにいるのかさえ、わからなくなるくらいだ。

更に進むと、今度はにわかに「食品」のエリアにさしかかる。

鶏のハネをむしり取る店主、豚のアタマ、やたらとハエの集る魚介類..............

しかし、どれも私が子供の頃の「近所」で見られた、ごくありふれた光景であった。