FC2ブログ
「深夜特急」の世界に憧れて (回想録 XX年)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

私は、自転車屋のマスターに礼を言って、「チャオプロム市場」の方向に歩き出した。

内心では、まだ「KFC」が食べたいと思っていたのだけれど、あのマスターに市場の食堂のことを絶賛させられただけに、行かないわけにもいかない。

少し歩いて振り返ると、ヒマなのか、マスターは店の前でずっとこっちを見て、見送ってくれているようだ。

「まあ、とりあえず市場に入ってみよう!」

市場の前までやってきて、足を一歩踏み込むと、特に冷房されているわけでもないのに、ヒヤッとした空気に変わり、太陽光線の全く差し込まない別世界だった。

瞬間、私は、「面白そうじゃないか..............」と思った。




スポンサーサイト

「チャオプロム市場の中には、何でもあるよ! 見るだけでも楽しいから..............
それと、言い忘れたけど、バンパイン離宮はもう行ったかい?」

「バンパイン離宮? それ何?」

「ああ、それはね、ここから20キロほど行った所にね、アユタヤの王様の離れがあったのさ。 まあ、綺麗な所だから、一回行ってみたら!」

「自転車で行けるの?」

「そりゃあ、行けないことはないけど、ちょっときついなあ。
市場の横から、バンパイン駅行きのソンテウが出ているから、それが便利だよ!」

「ソンテウ?」

「乗り合いトラックだよ!」
そう言って、マスターは、屋根付きの荷台に、ギッシリと人を載せたトラックの方を指さして笑っていた。





「ワットヤイチャイモンコン」から、レンタサイクル屋まで戻るのには、15分もかからなかった。

1日中、自転車で走りまわっていると、アユタヤの地理も頭にインプットされて、持っていた地図も要らなくなっていたのだ。

レンタサイクル屋まで戻ってくると、例の歯抜けのマスターが、
「どうだった! 良かっただろう!」
腕組みして、さぞ自慢げに、私の方に向かって声をかけてきた。

「良かったよ! それと、マスターがくれた地図が、役にたったよ!アユタヤ遺跡は本当に素晴らしい! ありがとう!」

「違うよ! 自転車が良かっただろって、聞いているんだよ!」

「もちろん、もちろん、良かったですよ..............!」

「これから、どうするの?」

「そこの、KFCに行こうと思ってるんですけど。」

「そんな所に行くんだったら、そこの市場の中の食堂の方が、安くて美味しいよ!」
そう言いながら、近くにある「チャオプロム市場」の方向を指さしていた。





「ワットヤイチャイモンコン」をあとにして、再びアユタヤの中洲地帯に戻ることにした。

時計を見ると、すでに午後2時を少しまわっていた。

遺跡に夢中になって忘れていたのだが、朝8時にホテルを出てからというもの、持っていた水以外、何も口にしていないことに気がついた。

「何か食べないと..............」

反射的にアタマに浮かんだのは、何故だかカーネルサンダースの人形だった。

たまたま昨日、アユタヤ駅から渡し船に乗って中洲側に到着し、ホテルまでの間の道中に「KFC」があったのを思い出したのだ。

日本にいてもそうだが、たま~に、ケンタッキーが食べたくなる、あの症候群にこの時もかかったのだろう。





アユタヤの遺跡はどこも緑がいっぱいで、かつて大昔にあった凄惨な出来事など知らなくても、世界中から集まったツーリストたちがピクニック気分で楽しんでいる。

日本にいると気づかないが、木陰が本当にありがたく感じるのだ。

何故そう感じるのかよくわからないが、外の気温は35℃くらいあるのに、木陰に入るととても快適だ。

草の上にしゃがんで上を見上げると、カラフルな色をした熱帯特有の鳥たちが乱舞していて、ヒーリング効果たっぷりの鳴き声を演出していた。

あまりの気持ち良さに、一時間ほど経った頃、ガーデナーらしき老人が通りかかり、私に声をかけていった。

「草むらには気をつけて。 コブラがいるよ!」............................






この「ワットヤイチャイモンコン」で、最も目を惹くのは、ずらりと並ぶ「坐仏像」だ。

広い境内には、中央の仏塔を囲むようにして、何十もの「坐仏像」が並んでいるのだ。

ここも、中洲の中にたくさんある遺跡群と違い少し違和感を感じるのは、セイロン、現在のスリランカの影響を受けたためらしい。

境内に立てかけられた説明用の看板によると、セイロンに留学し帰国した僧侶たちのために、アユタヤ初代の王ウートーンが、1357年に建てたと伝えられている。

ワットヤイチャイモンコン

アユタヤで最も「遺跡」を実感できるのは、ここ「ワットヤイチャイモンコン」だった。

例の「エレファントキャンプ」からは、ラチャーナ通りを東へ東へと、自転車を10キロくらい走らせたところにある

この「ワットヤイチャイモンコン」だけは川に囲まれた中洲には無く、遠く離れた場所にあったのだが、レンタサイクル屋のオヤジに、ここだけは見ておくように強く勧められていたので、頑張って行くことにしたのだ!

タイ国鉄の線路の踏み切りを過ぎ、1キロほど走ると、小さな仏塔「ワットサンプレアム」を擁した交差点があり、ここを右折して更に1キロほど走ると、遠くに黄色い布をたすき掛けした大仏が見えてきた。

ワットヤイチャイモンコン

池のほとりを5分ほど進むと、「象使い」はクルリと向きを変え、今やって来た道を反対に戻り始めた。

料金によって距離が違うようで、もっとたくさん支払った西洋人らを載せた「象」は、更に直進していった。

「エレファントキャンプ」までの復路に至る頃には、「棘突起」からの上手い逃れ方もマスターして、尻の痛みも気にならなくなり、ようやく周囲の景色を楽しめるようになっていた。

しかし、「1000バーツ」のコースを選んだあの西洋人のカップルの尻がどうなったのか、私は知る由も無かった。

「象」の乗り心地は、想像とは少し違っていた。

自分の中では「乗り物」というと、それまでは、すべて「機械的なもの」を指していたので、自動車や鉄道のような円滑な動きしか実際に経験したことがなかった。

だから、「象」に乗ったあの瞬間、今までではとても理解できない動きというか、振動というか..............

「横揺れの地震」と表現するのが良いかもしれない。

それと、「座布団」の意味が分かった。
「象」の「胸椎」なのか「腰椎」なのか「仙椎」なのか..............
私は、職業柄、人間には詳しいが、象のことはよくわからない。

いずれにしても「脊椎骨」の「棘突起」の部分が、揺れるたびに、こちらの尻の肉に突き刺さりたまらなく痛いのだ。


「象使い」に誘導された「象」は、私を載せ、表通りに出て、池に沿って「ウィハーンプラモンコンボピット」の方向へ、ゆっくりと歩き始めた。

私は200バーツ支払い、黄色い服を着た係員のあとに従った。

するとそこでは、まるで、客待ちをしているタクシーのように「象」はおとなしく整列させられていたのだ。

しかも、最前列の「象」の真横には、児童公園にある「すべり台」そっくりの階段が設けられていて、客はそれを使って「象」の背中まで、たどり着くようになっていた。

そして、「象」の背中には、何枚かの座布団が敷かれてあり、客が滑り落ちないように、囲いがされていた。

そして、おまけに「日除け傘」のサービス付きだ。

「ワットプラシーサンペット」を後にし、自転車にまたがった私は、しばらく南の方向に風を切った。

次に現れたのは「クンペンレジデンス」
復元されたアユタヤ時代の民家だった。

アユタヤ時代の様式を再現したタイの伝統家屋で、内部はチークの床がピカピカに磨かれた気持ちの良い場所だ。

しかし、恥ずかしいことに、私が興味を引かれてしまったのは、この「伝統家屋」ではなく、そのすぐ横でやっていた「エレファントキャンプ」だったのだ。

今まで生きてきて、「まだ象に乗ったことがない!」という、なんともミーハーな感情が現れてしまった。

料金所で尋ねてみると、そのあたりだけを一回りするだけなら「200バーツ」というので、考えるまでもなかった。

エレファントキャンプ

アユタヤ王宮跡の次に訪ねたのは、すぐ隣に位置する「ワットプラシーサンペット」

この遺跡の特徴は、「タイ」らしくないことだ。

どうしてそう思うのか、その時はよくわからなかったのだが、後で写真を見比べてみて気がついた。
「タイにある他の仏塔は、先端部付近が大抵、派手な黄金色をしているのに、ここのは地味な色をしていた」のだ。

料金所の横にあった看板に書かれてあった解説を読んでいると、何故だかセイロン様式の影響を受けたのだそうな............................
どこの国も、古代の時代から近隣諸国とのいろいろな関係に一喜一憂していたことが垣間見える。

アユタヤの遺跡は、一般的に言って、よく整備されていてとても快適に見学できる。

芝生の手入れや、木々の剪定も程よくなされているから、バンコク市内からツアーバスでやってくる観光客にとっては、申し分のない快適さが約束されているのだ。

しかし、私など、この「アユタヤ遺跡」を訪れる前に、ミャンマーの「バガン遺跡」のように、まだあまり開発の手が入っていない遺跡を見てしまった者にとっては、実に「快適さ」=「人工的」と映ってしまう。

しかし、正直なところ、「快適さ」に欠乏していたその時の私は、その「快適さ」の方を、素直に喜んでしまったのだけれど............................

目の前の静かな景色を見ていると、数百年前に、西からビルマ軍が攻めてきて、何もかも破壊していったなどと、一体誰が想像できるだろうか?

木々の緑。
心地よい風。
人々の穏やかな表情。

私はその時に、この「廃墟」を見て、
「単なる過去の特殊な、例外的な出来事」というふうに感じた事を覚えている。

この「平和な時代」「平和な地域」に存在する者側から見た、典型的な感覚なのだろうが、歴史を見ていると、戦争や平和は、どんな地域でも無数に繰り返されており、このように「例外的に感じる感覚」や「自分の時代は大丈夫」といったように思うことの方が、
もしかしたら「例外的」なのかもしれない。

「アユタヤ王宮跡」に着いてみると、そこは確かに「跡」だった。

石積みの基部しか残っていない王宮跡だ。
一切、建物らしき物は無く、一見すると広々とした「植物園」といった感じだったが、入場料の30バーツはしっかりと徴収された。

わずかばかり残された石積みの前に建てられた説明用の看板を読んでみると、1350年にこの王宮は建てられたのだが、1767年のビルマ軍の侵攻時に徹底的に破壊され、現在では何も残っていないのだという。

しかし,遠い過去に、そのような凄惨な出来事があったとは到底想像できないような静かで穏やかな景色が、目の前には広がっている。

「ワットプラマハータート」を出て、今度は「アユタヤ王宮跡」を目指すことにした。

大きなお濠のような池に沿って自転車を走らせてみる。
1キロほど行くと、やがて右手に「ワットプララーム」が見えてきた。
木々に囲まれて、先が丸みを帯びたクメール様式の塔が特徴だ。

もうこのあたりまでやってくると、まわりすべてが遺跡で、一般の建物が無くなるので、現実の世界から完全に時空を超越した感覚にさせてもらえる。

この不思議な感覚こそ、書物からは決して得ることの出来ない、「視覚」「聴覚」「触覚」「温度感覚」..............
すべての感覚を駆使した、実際目の前にある事象が物語る一つの世界なのだ。

自転車で、ナレースエン通りを西に走り、最初に行き着いたのは、「ワットプラマハータート」だった。

ここは、「深夜特急97」で、「大沢たかお」がロケ中、片言の日本語を操る、おかま風にわかガイドにつけ回された、あの場所だ。

入場料の30バーツを支払い、私は遺跡内に入った。
最初に受けたイメージは、まさしく「廃墟」だった。

しかし、かつてビルマ軍の侵攻により受けたその「廃墟さ」が、詳しい歴史も知らないこの私の感性を刺激し、頭を遠い過去の時代に導いてくれる。

私は、早速その1時間10バーツと書かれたレンタサイクルを借りることになった。

自転車ならたとえ暑くとも、熱風が心地よい風へと姿を変え、たちまち快適な旅になる。

前歯が、中途半端に抜けてなくなっていて、会話する時とても滑稽だったそのレンタサイクル屋のオヤジが、親切に自転車の点検をしてくれ、アユタヤ遺跡の見所が書かれたパンフレットに、オススメのポイントをマークしてくれた。

おかげで、そのあとスムーズに遺跡を廻ることができた。

写真中央の木の木陰は、なんとも気持ちの良い場所だったことか..............
おまけに、様々な鳥のさえずり付きだった

窓から差し込む朝日に顔を照らされて、翌朝、私は目を覚ました。
時間はもう、とうに8時を過ぎていた。

今日は、あの有名なアユタヤ遺跡だ。
早速、私は表のナレースエン通りに出て、ゆっくり西の方に向かって歩き始めた。

すぐに小さな川に架かる橋があり、それを過ぎて100メートルほど歩くと、バンコク市内とアユタヤ間を結ぶバスのターミナルがあった。

まだ歩き始めて10分も経たないのに、全身からにわかに汗が噴き出し始めた。
本能的に自然と太陽の方向を睨みつける。

「こんな調子だったら、1時間も歩いてたらまいってしまう」
しかし、さすが観光都市だ!
バスターミナルから少し歩いたところで、「FOR RENT」と書かれた看板の前に並ぶ、大量の自転車を見つけたのだった。

アユタヤ遺跡

その「トートマンプラー」と呼ばれる揚げ物を食べてみると、それは日本の「さつま揚げ」そのものだった。
微妙に残る小骨と、魚特有の風味ですぐにわかる。

おそらく、向こうに横たわるチャオプラヤー川辺りで捕れた魚なのだろう。

さあ、明日はいよいよ「アユタヤ遺跡」を廻ろう!
何故か、その「さつま揚げ」を食べながら、決意めいた感情が湧き上がってきたのを、今でも覚えている。

トートマンプラー

道路脇に並べられただけの椅子に腰かけて、まだ寝起きでハッキリしないアタマで、おそらくは夫婦であろうと思われる中年の調理人の手さばきに見とれていた。

まず、横に置かれた平坦なテーブルの上で、バットの上に盛り上げられた何かペースト状のものから、ヘラで一塊づつ取り出し、手のひらで素早く形を整えて、隣の男性に手渡す。

男性の方が、それを鍋の中に満たされた油の中に静かに滑り込ませると、たちまち賑やかな音を立て始める。

いつもそうだが、揚げ物をする時の、あの独特な音というのは、食事を待つ者の心も賑やかにしてくれる。

アユタヤ遺跡

根本的に、日本のものとは味付けが違うために、そのラーメンの味の方は、可もなく不可もなくというところだった。
見た目は、日本のラーメンのスープのような色をしていても、味はまさに麺入りの「トムヤムクン」だったのだ。

「これでは腹がいっぱいにならん」
料金の10バーツを置いて、私は次の屋台を探しに歩いた。

時々現れる屋台を何軒かやり過ごし、再び自然と惹きつけられる屋台に出会った。
単なる普通の道路脇にガスボンベを置いて、大きな鍋で調理する、唐揚げのようなものを出す店だった。

「これ、何?」と指差すと、
「トートマンプラー」という答えが返ってきたが、正直、何の唐揚げかサッパリわからなかった。

「とにかく、見た目だけは、うまそうだ!」
一人前15バーツという、何の肉かわからない唐揚げを注文してみた。

ワットラーチャブラナ

深い眠りから醒めたあとの、不思議なまでの軽快さに後押しされて、自然と足はホテル前の通りへと向かっていた。

街灯が少ないために、街全体は薄暗い感じだったが、かえってそれが、所々に店を構える屋台の灯りを引き立てて、まるで闇夜の海に点在するイカ釣り漁船のように見え、私の心の中の旅愁を刺激した。

少し歩いて、私は気に入った一つの屋台の丸イスに腰かけた。
歩道上に即席で設けられた屋台に、丸イスが並べられただけの店だったが、先客が食べているそのラーメンが、妙に、日本のラーメンに似ていたという理由だけで選んでしまったのだ。

ワットプラマハータート

フロントで400バーツを払い、代わりにルームキーを受け取り、私は指定された部屋に飛び込んだ。

疲れていた。
まだ午後3時という時間だから、これから遺跡を廻ることも出来たのだが、心地よい疲労感から、そのままの服装で自然とベットに横になっていた。..............

............................
どれくらいの時間が経ったのだろうか?
気が付くと、窓の外は、完全に日が暮れて真っ暗の状態だ。

時計を見ると、もうすぐ8時になろうかという頃だった。
疲労感は完全になくなり、代わりに今度は空腹感が襲ってきた。

よく考えてみると、タイに着いてまだ何も食べていなかった事に気がついたのだ。

アユタヤ遺跡

ナレースエン通りを進んで、最初にたどり着いたのは、「アヨータヤーホテル」だった。
アユタヤ遺跡の「アヨータヤーホテル」
一瞬、何か滑稽だと思ったが、そんなことは、肩に食い込むリュックの重みと、残酷なまでの暑さにかき消されてしまった。

守衛までいる正門らしきところを通り、フロントにたどり着き、シングルの料金をたずねた。
「400バーツ」

少し高いと感じたが、この時ばかりは即決してしまった。

ナレースエン通りを左折して、しばらく歩くと、右手に小さなビジネスホテル風の建物が見えてきた。

街の景色は、ミャンマーと比べてさほど変わらないように見えるのだが、タイの方がどこかしら活気があるのと、通りを行き交う自動車が新しい。
そして、コンビニなどの欧米の店舗がちらほらと目立つ。

「とにかく暑い!」
いつもなら何軒か回って、比較してから宿を決めるのだが、この時は、この暑さとヤンゴンからの長旅の疲れのせいで、頭の思考回路まで支配されてしまい、玄関をくぐる前から、「ここに決めるんだ」と、心の中で決め付けていたのだ。

アユタヤ遺跡

パサック川の向こう岸は、予想に反してトゥクトゥクのお出迎えは全くなく、不気味なほど静かだった。

これで快適に歩けそうだ。
と、言ってもこの暑さは半端ではない。
早く、今日の宿を見つけなければならない。

私は、船の上で覚えた通り歩いてみることにした。
船着き場のすぐ前の「ワートーン通り」を北に500メートルほど行くと「ナレースエン通り」があるので、ここを左折して、更に500メートルほど行くと、ホテルやゲストハウスが多くかたまっているエリアがある。
とにかく、そこを目指して歩こう!

このわずか1分あまりの船旅は、この私にとっては、サッカーの試合のハーフタイムのような、短いけれどホッと一息つける瞬間だった。

「今のうちに、アユタヤ遺跡の地図を記憶しておこう!」
向こう岸についてから地図など広げようものなら、またトゥクトゥク連中に集られかねない。

ここが、一人旅の弱点なのだ。..............
荷物を地べたに置いて、他のことに神経を使ってしまうと、いつ何時、置き引きなどにやられてしまうかも知れない。

どんな場合でもそうであるように、
「向こうから寄ってくる話に、ロクな話は無い」のだ。
別に、「旅」の場合に限ったことではない。
日常生活でも、仕事上のことでも..............
「旅」は、いつも人生に必要な多くのことを教えてくれる。

タイに限らず、外国でタクシーやトゥクトゥクに乗りたい時は、向こうから言い寄ってくるものは絶対にやめるべきである。
私はいつも、「流し」を止めて利用することにしている。

どうやら目の前の川は、「パサック川」と呼ばれているらしい。
そして、向こう岸まで渡し船があり、さっき同じ汽車から降りてきた、見覚えのあるお客もこの船に乗ろうとしている。

流れに任せて私も乗り込んだ。
「1バーツ!」
真っ黒に日焼けした船頭がそう言って、手のひらを私の方に差し出した。

そして、わずか1分間の船旅が始まったのだ。

駅前でタムロしている「トゥクトゥク」の運転手らが、荷物を持って動きが鈍くなっている私を見つけて、群がってきた。
まるで、血に飢えた蚊に目を付けられた赤子のごとく、たかってきた。

モタモタしていると、囲まれて本当に身動きが取れなくなってしまいそうだったので、とにかく私は走った。

200メートルほど向こうに見える川まで走った。
流石に、自分の「トゥクトゥク」を放置して、ここまでは追って来なかった。

このアユタヤの遺跡は、チャオプラヤー川とその支流に囲まれた中洲にあるので、とにかく向こうの中洲側に渡ってしまった方が懸命だ。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。