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「深夜特急」の世界に憧れて (回想録 XX年)
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もうすぐ降りなければならないというのに、また、困ったことが一つ増えた。

スコールだ。

しばらくして、一つ二つ、バスの窓ガラスにとんでもない大粒の水滴が斜めに付いたかと思うと、ものの30秒もしないうちに、あたり一面まっ白になるくらいの猛烈な雷雨になった。

「傘、持ってないけど..............」
「もうちょっとのところなんだけどなあ.............」

土砂降りの雨だった。
無情にも、前方にスーレーパゴダが見えてきた。

「やばい!」
この降り方では、わずか10メートル歩いただけでも、完全にずぶ濡れだ。

「明日、飛行機に乗るから、なるべく服は濡らしたくないのだ」
他の乗客たちも、不安そうな顔をして、外の景色を見つめていた。
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私の乗っているバスは、もう完全に市内に帰ってきたのだが、行きのバスに乗っている時、この辺りでは乗客があまりにも満員だった為に、周りの景色を記憶しておく余裕が私には無かった。

だから、もう市内中心部だという事は分かっていても、自分の降りたら良いバス停がどこなのか全くわからないのだ。

それで、隣りの席に座っていた黄色い袈裟を着たお坊さんに尋ねてみた。
「スーレーパゴダは、まだですか?」
ニコッとしながらミャンマー語で何か答えてくれたが、
「まだだ」という事だけは理解できた。

「スーレーパゴダは目立つし、もし通り過ぎたとしても、バス停一つくらい散歩がてら歩こう!」
それより、このすし詰め状態で、出口まで行けるかどうかの方が問題に思えた。

翌日の「TG304便」は9:50発バンコク着11:45着だった。
時刻上は2時間程かかるように思うのだが、実際は1時間半くらいだ。

計算すると、ちょっとおかしいように見えるのは、時差がタイとは「30分」有るからだ。

「30分..............」なのだ。
従って、日本とは「2時間30分の時差」という事になる。

心の中で思った。
「また、30分とは中途半端な..............」
「何の意味があるんだろう。」
「これだけ距離が近いから、別に時差なんてつける必要無いのに」
「どうせ付けるのなら、切りよく1時間にしてよ!」

そんなことを思いながら、周りの風景を見ていると、徐々に街らしくなり、ヤンゴンが近いことが予感できる。

ミャンマーの寺院は、どこも裸足

水中寺院には、約2時間ほど滞在して、私はチャウタンを後にした。

帰りのバスの中で、私は頭の中で自然にミャンマーについて総括し始めている自分に気づいた。

「同じ東南アジアに位置する他の国に比べ、なんと訪れる者にとって素晴らしい国なのだろう。
人々は親切で信心深く、勤勉で、規律をよく守る。
本当に来て良かった!」

一つの国を旅行する場合、もちろん自然の景色や、人工的に作られた造形物を見ることは重要なことだが、私にとってはむしろ、そこに住む人々の営みを「観る」ことの方が、心を惹かれる。

だから、別に大した見所が無かったとしても、人々を観て、人々に親切にしてもらったところは、私の「旅」の記憶の中で、永遠に輝き続ける。

流れのすぐ傍まで降りてゆく勇気が無かった私は、しばらく手すりに肘と顎をつけただらしのない格好で、階段下の若者たちの戯れを眺めていた。

「時間的なゆとり」というものは恐ろしいものである。
こうやって、ぼーっと、目の前の川の流れを見ていると、徐々に日常の色々な煩わしい事から解放されて、「脳内の思考回路」が自由に独り歩きし始める。

「旅」を満喫していればしているほど、最初のうちは、
「あ~、もっと旅を続けていたい」とか
「帰りたくない!」という程度で済んでいたものが、下手に「時間的ゆとり」などがあろうものなら、人間の脳は勝手に都合の良いように独り歩きし始め、
そのうちに、
「もう2、3日旅を延ばしても、どうって事ないだろう。」とか、
「急いで帰って、何の意味があるのだ!人生は長い!」などと、勝手に想像し始める。

終いには、「このまま帰らず、こっちの南国で、面白おかしく生活したらどうなるんだろう?」などと、暴走し始める。

私は、今までの「長い旅」の道中、いったい何人の「沈没した日本人の若者」を見てきたことか..............。

「時間的なゆとり」によって暴走した「脳」に支配され、日本に帰れなくなってしまい、東南アジア各地の安宿に何ヶ月も連泊し、動けなくなってしまうのだ。

ノンフィクション作家で有名な蔵前仁一氏は、その著書でそれを「沈没」と表現していた。
「深夜特急」の中の沢木氏も、ネパールの首都カトマンズで、軽度の「沈没」を経験したようだ。

その点では、物価が安く治安の良いこのミャンマーは、「沈没地」としては最高の条件を備えている。

本当にそこから自分の意志で早期脱出できるなら、私も一度「沈没」してみたいものだが..............。

水中寺院の境内は、一周するのに5分もからなかった。

この中に居ると、周囲に渦を巻く濁流がウソのようだが、船着き場から見て一番反対側のところまで進んでゆくと、その端が階段状になっていて、参拝に来た若者たちが流れのそばまで行って遊んでいる。

もし転落でもして、この濁流に呑まれるようなことがあれば、確実に流されてしまうような強い流れだ。

心の中では、「自分も下まで降りて、若者たちと同じように、水の流れに触れてみたい」という気持ちもあったが、その時はそれを押さえる自分の方が強かった。

「こんなところで、人生を終わるのは残念だ!」と思ったが、その反対に、
「もし、今、大地震でも起こって、この寺ごと沈んでしまっても仕方ない」とも思えた。
私の母方の実家は寺で、当然の事ながら私の祖父は僧侶なので、
だからかも知れないが、私は子供の頃から寺が好きで、死ぬのも寺なら本望だとも、その時思えた。

若者たちは、大ナマズに餌を与えて遊んでいる

何故、わざわざこんな川の中洲に寺を建てたのだろうか?

かつて、ここに重要な政府の機能を置いて、敵国の侵略から防衛し易くするためなのか?
それとも、日本の禅寺のように、僧や信者の修行のために、わざわざ過酷な条件下に設けたのだろうか?

しかし、そのような思惑とは裏腹に、ゲートをくぐり抜け境内を散策すると、別世界のリゾート気分が味わえる。
しかも、ヤシの木まで植えてある。
太陽が降り注ぐパラダイスのようなところだった。

たぶん、実際のところは、他のミャンマー各地のどこにでもある寺院と、そんなに大差は無いのかも知れないのだが、この周囲の景色とのギャップとでも言おうか..............。
周りとのあまりの違いがそう思わせる「錯覚」なのかもしれない。

どちらかというと、このチャウタンの村の周辺はのどかな、悪く言うと殺風景なところなのだが、そのようなところに、いきなり「きらびやかな別世界」だ。
そして「空気が違う」のだ。

別に遠くに行かなくとも、「違う空気」を味わうことは出来る。
距離が近くても、その間に横たわる「障壁」が、高ければ高いほど、その人間にとっては、より新鮮な「違う空気」を味わうことが出来るのだ。

その点において、この「水中寺院」は、典型的なしかも強力な「違う空気」を持っていた。

水中寺院の中では、みんな天国なのだ

中洲に築かれた寺院に着き、舟を降りてわずかばかりの階段を上がると、あたかもそれまで参道が続いてきたかのような自然な出で立ちの入口があった。

しかも、何食わぬ表情の切符売り場まである。
振り返れば、大河が横たわっている。
何と不思議な景色なことか..............。
通り過ぎる船からもしこれを見たら、実におかしな景色に見えるだろう。
きっと洪水に流されている寺院に見えるに違いない。

とにかく私は1ドル支払った。
でも、今更ながら思う。
大量の1ドル札を持って来て本当に良かった。

日本を出る前、旅好きな友人に、度々アドバイスされていた。
「1ドル札をたくさん持って行けよ!後できっと役に立つから。大きい紙幣で払うと、ドルではお釣りをくれないよ!」

10チャット払って、私も渡し船に乗り込んだ。
階段状にコンクリートで固められただけのはしけに、長細い形の舟の端から伸ばされたロープが、繋いであるだけだ。
だから、川の流れによって、ユラユラと上下左右に不安定に揺れている。

お客が乗り込もうとすると、船頭の一人が、微妙に揺れる舟の先端部を押さえつけて、いざ客が乗り込もうとするその一瞬だけ、器用に舟の揺れを静止させるのだ。

どうやら私が最後の客だったようで、乗り込んだのと同時に、岸にくくりつけてあったロープがもう解かれていて、最後尾の木の板に腰掛けた時には数メートル離岸していた。

川面から、とても心地よい風が私の顔に吹き付け、前髪がオールバックになる。
そして、自然と左右の目を細める。
熱帯の太陽が水面に反射してまぶしいからか、それとも舟がエンジンで前進するため前から風が目に入るためなのか..............。

残りの乗客のほとんどは、私と同じ「水中寺院」に参拝するために、この「チャウタン」のバス停で降りた。

バス停は、小さな集落の中にあって、お客たちは村の脇を流れる川の岸を目指してゾロゾロと歩き出した。

私も、なんとなく人々のあとをついて行くと、いきなり視界が大きく開け、対岸の方へと目をやると、川の中洲にパゴダが建っているのが見える。

後で知ったのだが、この「水中寺院」の名前は、「イェレーパゴダ」だった。

岸に着くと、渡し舟の船頭たちに取り囲まれたが、見ると「渡し舟」は一隻しか見当たらず、どの男達も同じ「10チャット」としか言って来ない。

どうやら、この水中寺院が経営している舟のようだ。
しかし、10チャットとは、また何と安いことか..............。
日本円で、1円だ。

更に30分もすると、乗客は10人ほどになってしまい、さっきまでの混雑がウソのようだ。
もうこの頃になると、満員の時には全く見えなかった座席が、その全貌を明らかにしていた。
そして私は、何か得でもしたかのような気持ちになり、窓際の席に腰を落ち着けたのだ。

やがて、バスは比較的大きな川に突き当たり、その後は川沿いの道路を川と並行して走っていた。
「これが、あのボーイさんが言っていた川なのだろうか..............?」

しばらく、そんなことを考えながら窓の外の景色を眺めていると、一際きらびやかな寺院が見えて来て、わずかに残った乗客がざわざわとし始めた。

直感的に「これが水中寺院か!」と思った私は、車掌さんの方に目をやると、彼もこちらを見て、「着いたよ!」と言わんばかりに、首を大きく出口の方に振って、私に降りるように促していた。

地元の人しか訪れない、ガイドブックには載っていない「旅」。
自分の「旅する力」だけで進める「旅」に、私はその時陶酔していた..............。

水中寺院

「チャウタン」の街は、地図上で見る限り、ヤンゴン市から30キロくらい南東の方向に位置している。

バスは、満員の客を載せ、バス停のたびにいちいち止まるので、恐らく二時間ほどかかるだろう。

スーレーパゴダ近くのバス停を出発してから30分ほどすると、ヤンゴン市の外に出たようで、周りの景色は徐々に田園風景に変わり始めた。
それにつれて、あれほど満員だった乗客も少しずつ減り始めて、私は車掌と会話することが出来るくらいまで、車内にはゆったりとした空間が広がっていた。

とにかく、私は車掌に地図を見せ「チャウタン」と告げると、
指を三本立てて「30チャット」と言ってきた。

瞬間「安い!」と思った。
1000チャットが1ドルくらいだから、30チャットと言うと「3円」位なのだ。

いずれにしても、これで車掌さんは、私がチャウタンに行きたいという事はわかったはずである。

ミャンマー語のわからない私は、このあと、車掌さんの近くに陣取って、時々、不安そうに車掌さんの目を見ていれば良いのである。
そうすれば、必ず目的地に着いた時教えてくれるはずだ。

すし詰めのバスに乗った私は、幸いなことに、中央にあるドアのすぐ奥に入ったところの吊革を確保することが出来、何よりも車掌のすぐソバに居ることが出来た。

バスの車掌と言えば、私が子供の頃、昭和40年代のバスの車掌を思い出させる風貌をしていた。
ミャンマーでは、帽子こそかぶっていなかったものの、斜めにたすき掛けしたカバンに、分厚く束ねた切符や大量の釣り銭を入れ、ジャラジャラと音をさせていた。

お客が切符を頼むと、車掌は束ねた切符をペラペラとめくり、目的のページが見つかると、素早くパンチを取り出して、パチパチと穴を開け始める。
お客が、幾ばくかの料金を払うと、車掌はミシンメに沿って切り離して渡していた。

私は、この何でもない光景を見ていて、自分が子供の頃の地元を走っていた「京阪バス」を思い出した。
もちろん、ボンネットバスで女性の車掌さんも乗っていた。

それが、いつの頃からか「ワンマンバス」なるものが登場して、子供心に衝撃を受けたのを今でもハッキリと覚えている。

「旅」に出ると、異文化に触れいろいろな発見が出来るのはもちろんだが、それと同時に、自分が生きてきた過去の世界に、軽く「タイムスリップ」出来るのだ。

やってきた216番のバスは、言い表しようの無いほどの混雑ぶりだった。
バスのちょうど真ん中に設置されたドアは、外に溢れ出た人で開いたままだ。

一番外側のお客などはもう、完全にバスからはみ出していて、ただ手すりにつかまったままの姿でやってきた。

「これ、どうやって乗るの?」
心の中に自然と疑問が湧く。

しかし、それが何とかなるのだ。
いくら溢れ返っていたとしても、乗降口の前にさえたどり着けば、後ろから来るお客にドンドン押されて、気がつけばいつもバスの中だ!

今回も、いつものように流れに任せて乗降口の方に近寄って行くと、「人のうねり」の波に上手く乗れたようで、何とか車内まではたどり着くことが出来た。

でも気になるのは、日本のバスの「整理券」のようなものは見当たらない。
料金はどうやって払うのか?
それとも「均一料金」か?
もちろん車内放送のようなものは無いので、
「チャウタン」に着いたことをどうやって知るのか?

バスが走るに従って、不安がこみ上げてきた。

「チャウタン」までのバスを、近くいた若者に尋ねると、
「216」とだけ英語で話した。
私は繰り返して「216?」と言うと、首をコックリと立てに振った。

どうやら216番のバスが、チャウタンに行くようだ。
確かにバスのフロントグラスには、内側から番号が貼り付けてあった。
「38」「512」「115」..............
私は次々にやって来るバスの番号を、目を皿のようにして見続けた。

10分くらいたった頃だろうか。
あんまり違う番号ばかり見続けたものだから、いざ自分の目指す番号のバスがやってきても疑ってしまう。

「216」
確かに合っていた。
但し、今度は乗れるかどうかわからないほど満員のバスに、私は一瞬、足が固まってしまった。

朝食のレストランを出る前に、「水中寺院」を教えてくれたボーイさんに、ついでに行き方も尋ねてみた。

「どうやって行けるの?バスか何かあるの?」
「たしか、スーレーパゴダから東に300メートルほど行ったところのバス停から、その方面行きのバスが出ていると思いますよ!」
それだけ教えてもらえれば十分だった。

一度部屋に戻り、最低限の持ち物だけに絞って、ボーイさんが言っていたバス停に向かうことにした。

もうこの時点では、私もヤンゴンの地理には結構詳しくなり始めていたので教えてもらった場所に行くのは、たやすいことだった。

スーレーパゴダの東なら、このパノラマホテルを出て南に進むだけなので、わずか5分ほどで例のバス停にたどり着くことが出来た。
いかにもバス停らしき雨除けが設置してあり、その前には黒山の人だかりが出来ていた。
しかし、通常のバス停なら、何か行き先についての案内とか時刻表とか有りそうなものなのだが、そういうものはここには一切無かった。
「英語も通じそうに無いし..............」
そして私は持っていた地図を指差して、「
チャウタン、チャウタン、バス」
近くにいた若者に聞いてみた。

次の日、実質残された1日を使ってどこかヤンゴンの郊外へ日帰りで出かけることにした。

朝食のバイキングで昼食の分まで、腹いっぱいに食べて、最後にコーヒーを飲みながら、テーブルにヤンゴン周辺の大きな地図を広げた。

日帰りできそうなところというと距離的に限られてくるのだが、南に30キロほど行ったところに、何カ所か小さな街がある。

全く情報が無かったのだが、とっさにコーヒーをつぎにきてくれたボーイさんに尋ねることにした。

「このあたりの街には、何か観光できそうなところあるの?」
地図の中の街を指差して私は尋ねた。
ボーイさんはしばらく考えていたが、「チャウタン」という街を指差して答えた。
「この街には、面白い寺院がありますよ!」
「どう面白いの?」
ボーイさんは、持っていたペンで紙ナプキンの裏に、何か図を書き始めた。
「この街を流れる川の中に中洲があって、その中洲が丸ごと寺院になっているのですよ」
「そこには渡れるの?」
「もちろんですよ!」

その話を聞いて、もう私はこみ上げてくるワクワク感を抑えることは出来なくなっていた。

バンコク行きのフライトが明後日に決まったので、これでミャンマーも実質あと1日だけとなったのだ。

さあ、あとは今日の宿を決めなければならない。
そして、この国も、これで最後かと思うと少し寂しさがこみ上げてくる..............

ちょっとだけ贅沢してみようか。
と言っても、ヤンゴンに着いて最初に泊まったホテルが10ドルだったから、15ドルか20ドルくらいのホテルなのだが..............。
ロンリープラネットを見て、この近くで探してみることに。

ちょうどここから歩いて5分ほどのところに、「一泊20ドル朝食付き、10階建て」
「パノラマホテル」という名前だ。
何故か、急に嬉しくなってきた。

近くまで来てみると、遠くからでもよく見える大きな看板。
「PANORAMA HOTEL」の文字。
思っていた通りの大きなホテルだ。
これに20ドルで泊まれると思うと、また嬉しくなってきた。

幸いなことに、「タイ国際航空」のオフィスは、私がいたカフェの目と鼻の先だった。
ちょうどスーレーパゴダを挟んで反対側の角の目立つところにあるのを、私は偶然覚えていたのだ。

こちらのオフィスは先ほどとは比べものにならないくらい垢抜けていて、職員もテキパキして親切だった。
「予約を取りたいのですが..............」
「チケットはお持ちですか?」
「ええ、」
私は、ブルーの表紙の付けられた「IATA」のチケットを差し出した。

「いつの便がご希望ですか?」
「ええ、できれば明日がいいのですが..............」

「あいにく、明日は二便とも満席です」と言って、画面から顔を上げて私の方を見た。
「明後日は?」
「それなら二便とも大丈夫ですよ」
私は午前の便「TG304便」を選び、日付の空けてあったチケットの上に、今度乗る予定の便のデータの書かれたシールを貼り付けてもらった。

バングラデシュはミャンマーのちょうど西に位置していて、南北に相当の距離の国境線を接している。

「西」に向かおうとしている私は、ヤンゴンからダッカのある「西」の方角ばかりを当然のように意識していたのだが、何気なしに貴重品入れの中を覗いた私は、「OSAKA-YANGON」間の復路のチケットのことを思い出した。

日本を出る前、大阪-ヤンゴン間の格安航空券を買った時、あまりの安さに驚いたのと、このチケットの種類が片道でも往復でも同じ料金だったことを、今まで忘れていた。

私は旅の計画上、片道で良かったのだが、往復でも同じ料金だというので、当然帰りの区間は、とりあえずオープンにして、日付の欄は空白にして、買ったまま温存しておいた。
要は、まだその当時、「片道の格安航空券」など出回っていなかったのである。
「格安航空券」と言えば、「往復」が常識だった。
だから今、手元にある帰りの区間のチケットは、日付が空白になっているのだ。

私は「西の方角」ということと「ミャンマーの隣はバングラデシュ」ということにとらわれ過ぎていた。

「このオープンチケットを使って、一度バンコクに戻ろう!そして、大量に売られている格安航空券の中から、自分に合ったものを探そう!」

そう思った瞬間から、もう体は自然と「タイ国際航空」のオフィスへと向かっていた。

462ドルと言えば、その当時のドル円相場で計算すると、6万円を超えている。
やはりノーマルチケットは高過ぎる!
思った通りだった。

そして私は、本当のところはノーマルチケットの料金が高かったせいなのに、いかにも出発の希望日があわなかったふりをしてしまった。
「三日間は待てないので、他社の便で探してみます。」
私はオフィスを後にした。

しかし、実はその当時、ビーマンバングラデシュ航空以外の「他社便」は、飛んでいなかったのである。
「さて、困ったぞ..............」
この、上手く理想通り行かないのが「旅」では当たり前で、それが実は楽しくて止められない。

次の手を考えるのがとても面白い。
囲碁や将棋、チェスのようなゲームなども次の手を考えて楽しむのだけれど、決定的に違うのは、ゲームの場合だと盤の上の駒(プレーヤー)を上から眺める人間が楽しむ。

しかし「旅」というゲームの中の「旅行者」は、すなわち「駒」(プレーヤー)そのもの自身が自分で考えて行動するので、一つ間違った動き方をすると、その「旅行者」はとんでもないことになってしまう。

ここでまた映画のことを思い出してしまった。
「トロン」そしてその続編「トロンレガシィ」という映画だ。
コンピューターゲームの天才である主人公「フリン」が、頭脳の膨張したゲームに取り込まれてしまい、ゲームの駒に自分がなり次々現れる強敵と戦うことになるのだ。
ゲームの場合もスリル満点だろうが、「旅」の場合も、「旅の中にいるプレーヤー」にとっては、スリル満点だ..............。


そして私は暑い中、重たい荷物を抱えて歩きまわっても仕方がないので、どこかカフェでも入って、計画を立て直すことにした。

しかし、本当のところはいくら考えても「他社便」は無いので、なんとかして街の旅行社をくまなく探してディスカウントされた「格安航空券」を探さなければならない。

スーレーパゴダの近くで見つけたオープンカフェで、とりあえず落ち着くことにした私は、冷たいアイスティーと氷を口に含んで、いつまでも歯と衝突させ「コロコロ」と音を立てながら、「OAG」のフライト時刻表を穴が開くほど見ていた。

そして、グラスの中のティーが無くなり、残された氷が溶け、水になった氷が壁面にわずかに残ったティーの茶色と混ざり、ぬるいうす茶色の液体が出来た頃、ある妙案が頭に浮かんだのだった。

私は、ビーマンバングラデシュ航空のオフィスの重たいドアを、リュックとは反対の腕の肘の部分を使って押し開け、中をのぞき込んだ。
そこは、いかにも「事務所らしい」と言う言葉が似合うような、何の特徴もない、商売っ気の無い、ただ机と椅子が並べられてあるだけのオフィスだった。
そして、あまり愛想の良くない感じの若い女性が2人座っていて、私の気配を感じてか、こちらの方を振り返っていた。
想像するに、恐らくここには旅行者が直接チケットを買い付けに来るような事はあまり無いのだろう。

半開きのドアから、首だけ中に突っ込んだ格好のまま、
「ダッカまでの航空券を買いたいのだが..............」
すると、まだ比較的愛想の良い方の事務員が、手を振って私が中に入るように促した。
言われるがままに、カウンターの椅子に腰掛けた私に向かって、
「何日の便がご希望ですか?」と質問してきた。
「早ければ早いほど嬉しいんですけど..............」
私は、おおよそのところは「OAG」で、週に2便しか飛んでいないこと、
そして、それも毎週火曜日と金曜日しか飛んでいないことも把握していた。
本当に知りたいのは、「このオフィスでチケットを購入するといくらか」と言うことだった。
「そうすると今日火曜日の便は終わったので、次は三日後の金曜日になります」
私は核心の部分に触れた。
「片道いくらですか?」
女性はパソコンを操作して「462ドル」と、何の表情も変えることなく、あっさりと言った。

スーレーパゴダから見れば、東に300メートルくらいである。
「ビーマンバングラデシュ航空」のチケッティングオフィスの前に私は立っていた。

通りを隔てて真向かいには、どことなく東南アジアでは無い、明らかにインド建築の気配を感じさせる立派な建物が連なっているのだ。
これから西に向かおうとする私にとっては、この先、恐らくはイヤと言うほど見ることになるであろう景色を予感させるには十分だった。

「最高裁判所」
私は持っていた地図を広げると、確かにそのように書いてあったのだが、相変わらず前の通りを行き交う人々の姿を見ると、果たしてこの国にそのようなものが必要なのかと想像させられるほど、のんびりした空気が流れている。

ヤンゴンに着いた私は、まず次の目的地「バングラデシュ」の「ダッカ」までの航空券を探すことから始めた。

私は、まず「スーレーパゴダ」周辺の繁華街を歩いてみた。
何と言っても、このパゴダの辺りがヤンゴンの中心であるし、例の「白人の旅行者」たちも、チラホラ見かけることが出来る。

しかし、30分ほど歩きまわっても、各航空会社のオフィスはあっても、いわゆる一般の旅行会社のようなものは見当たらない。
それぞれの航空会社のオフィスだと、チケットは買うことが出来るが、当然ノーマルチケットになり高額だ。
私が探しているのは「格安航空券」なのだ。

私はこのミャンマーを、タイやマレーシアと同じように考えていた。
ヤンゴン市内なら、必ずバンコクの「カオサン通り」のようなところがあるはずだと高をくくっていた。

仕方が無いので、私はマハバンドゥーラ公園の東に見えている「ビーマンバングラデシュ航空」のオフィスを訪ねてみることにした。

次の日、私はパゴーを後にした
パガン遺跡が「乾いた」イメージなら、このパゴーは「湿った」イメージだった。
どこかいつも雨が降っていた印象が強く、舗装されていない道はたいていぬかるんでいた。
そして、傘のよく似合う街だった。

前日チケットを買っておいた、6ドルの乗り合いタクシーで、再びヤンゴンまで戻ってきた。
タクシーと言っても、使っている車は何の塗装もしていない年代物の「カローラ」。

普通に考えたら、運転席は運転手が乗っているから、残りの席にお客が三人というところだろう..............と思っていた。

しかし甘かった。

エンペラーモーテルの前で、約束の11:30になり、言われた車の後部座席で私は出発を待っていた。
助手席に一人、後部座席にもう一人ミャンマー人が乗って来て、少し遅れて運転手が乗ってきた。
「さあ、これで出発かあ~」
しかし、こちらに向かってまだ何人か歩いてくるではないか。
「まさか!」
嫌な予感は見事に的中した。
次々、客が乗ってきて、最終的には、後部座席に5人、前の助手席に2人、そして運転手の合計8人がこの車に乗ったのだ。
「やってやれない事はない!」とよく言うが、「乗って乗れない事もない」のだ。

当然、ヤンゴンまでの一時間半、ドアとミャンマー人に挟まれて体中がつりそうになった。
でも、何故か妙に楽しかった。
お客同士、たまに目が合ったらニコッとして、別に言葉は出さなくても、車の中は不思議な連帯感が生まれていた。

結局、エンペラーモーテルから私のホテルまで2000で行ってもらうことになった。
彼にしても私にしても、二回目だというだけで、妙な安心感に包まれている。

いつも、旅の師匠と言うか先輩からは、
「お前は甘い!」とか、
「トコトン値切れ!」と注意される。
「お前が甘い顔をするから、後続の日本人の旅行者がナメられるんだ」とも言う。

確かにそうかも知れないが、別にそんな深く考えて旅をしたことなど無いし、旅行者銘々が「自分が思う適正価格」を自分で交渉して払えばそれで良いのだ。

世の中には「相場」というものがあるおかげで、もし本当に「甘い日本人」が相場をつり上げてしまったとしても、後続の旅行者にその地域が敬遠されてしまって、最後には「相場」は自然に下落しなければならない運命にあるはずだ。

カフェで、ジュースを少しづつ飲んで粘っていると、30分くらいした頃だろうか..............
通りの方から「旦那!旦那!..............」という声がする。
別に気にせず、無視していると、
「旦那!旦那!あんただよ!」
「ん?」
ちょっと気になったので、その方をよく見ると、やっぱりさっきバスターミナルからここまで乗ってきたサイカーの運転手ではないか..............。

私は、気がつかなかったのだが、向こうは私の動きをずっと捕捉していたようだった。
「旦那!また乗って行ってよ!」
なんと仕事熱心と言うか、しつこいと言うか。
街には客待ちのサイカーがあふれかえっているため、一人客を逃すと当分仕事にはありつけないのだ。
しかも、私のような「カモ」は滅多に現れないのであろう。

私の方も、そろそろホテルに戻ろうと考えていたところだったので、明日の乗り合いタクシーのチケットを買ってから、再び彼のサイカーに乗ることにした。
「今度は1000チャットでOKやろ?」
「旦那! 自分は小さい子供が5人もいて、腹をすかせているんだ。3000でお願いしますよ!」
「そんなの関係無いやん」とも思ったが、
ここまでくると、もう単なる客と運転手という関係を超えて、昔からの知り合いだったような、妙な親密感的なものがほんの少しだけ芽生えているのを感じていた。

普通だったら、「Too expensive 」と一蹴するところなのだが、旅をしているとこのようなことがよくある。
同じ運転手に何回も出くわすのだ。
恐らくは、行く先々で相場のわからない「カモ」を一度見つけたら最後まで離さない魂胆なのだろうが、私の場合、ある時からこれを逆手に取って好んで同じ運転手を利用するようになった。
わずかな「カモ料金」を上乗せするだけで、気心の知れた妙な安心感から、もっとDEEPな、ガイドブックに載っていない面白いエリアへと案内させることが出来るのだ。
しかも、「明日、何時にホテルまで迎えに来てくれ」とか、こんなことも頼める。

乗り合いタクシーのチケット

白人たちが集まるカフェで、
私も食後のコーヒーと行きたいところだったが、その時は暑さのせいで大量の水分を汗で放出してしまっていた。
太陽こそ出ていなかったものの、雨季特有のジメジメした空気に負けて、私は「ミリンダ」というオレンジジュースを一本注文してがぶ飲みした。

ちょっとした木製のテーブルに丸イスが無造作に並べられただけの、一見粗末なカフェだったが、ところどころに熱帯の花が飾られていて、しかもヨーロピアンたちが賑やかにしていると、不思議なもので、あか抜けしたお洒落なカフェに見えてくる。

カフェの傍らには、自転車が10台ほどきちんと並べられており、
「FOR RENT」と書かれてあった。
一時間1000チャットのようだが、ちょっと高い気がする。

レンタサイクルの受け付けは、ヤンゴンまでの乗り合いタクシーのチケットも扱っていた。
「FOR YANGON , 6USD」

エンペラーモーテルの一階には、外国人の旅行者が集まりやすいような環境が整っていた。
まず、手軽なカフェである。
そして、奥にはホテルのフロント。
二階以上が安宿になっているのだ。

それと、これがポイントなのだが、ちょっとした観光の情報がここで手に入れられるのと、簡単なチケット販売の代理店も兼ねていることだ。
バスのチケットも買えて、コーヒーも飲めて、おまけに安宿もある。
ヨーロピアンたちが集まらない訳が無い。
旅行者は、ここにさえやってくれば、すべて事が足りるのだ。
日本にはあまり見当たらないスタイルとも言えるが、海外ではよく見られる。
海外から日本にやってくる旅行者の数が伸び悩んでいるのは、日本の規制が厳し過ぎて、このようなスタイルの店が少なく、自由に旅行する外国人に対して、どちらかと言うと冷たいためだ。
海外にやってくると、旅行者が喜ぶお手本のような店がゴロゴロしている。


この最も良い例が、ベトナム、ホーチミン市の「シン カフェ」だろう。
ちょっと旅行をかじったことのある人なら、一度はこの名前を聞いたことがあると思う。

大盛の「広東風エビ入りチャーハン」を食べて、再び私は表通りの国道に出た。
するとどうだろう。
ちょうど通りの反対側の、ホテルらしき建物の下に、ひときわ身長の高い白人の男女のグループのかたまりが見てとれた。

私はここでも、いつもの癖が出た。
「白人の旅行者の集まるところには、何かいい事がある」
いつの間にか自分の中に出来た経験則なのだ。
「とにかく行ってみよう」

ミャンマーならどこでもそうであるように、人通りの多い市街地などでは、紅白のラインの入った中央分離帯が設けてあり、道路の反対側に行くためには、それをまたいで行かねばならないのだ。
もちろん、横断歩道のようなものなどあるはずもない。
東南アジアならどこでも同じだが、自分の身は自分で守らなければならない。

そして、白人たちの集まっていたのは、「エンペラーモーテル」という名前のホテルの前で、ここはやはり旅行者向けのちょっとした情報の溜まり場のようなところになっていたのだ。

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