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「深夜特急」の世界に憧れて (回想録 XX年)
ポッパ山に着くまでの道中、それまで全くと言ってよいほど無口だった運転手が、おもむろに口を開いた。
「途中、民芸品を創る工房がありますから、立ち寄ります」
そして、1キロほど走ったところで停車した。
「ここで私達が何か買えば、ドライバーにマージンが入るんですよ。別に買う必要はありませんから、黙ってついてゆくだけで良いのですよ。」青年が言った。
駐車場の横には、藁葺きの小屋が並んでいて、素朴な田舎の民芸品などがテーブルの上に並べられていた。
店の主は、私達を見ても全く素知らぬ顔をして、黙々と藁で何かを創ることに没頭している様子だった。
次に、ドライバーは建物の奥に広がる広場に私達を案内した。
そこには、大きな石臼に固定された木の棒に繋がれた水牛が、ゆっくりと石臼を中心に回っていた。
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「それで、どうしたの?」
ヨハネスブルグで身ぐるみ剥がれた青年は、
「仕方無いので、目の前にあったホテルにとりあえず飛び込んで、事情をフロントの人に説明したら、日本大使館に電話してくれたんですよ~。それで、最終的に、大使館に新しいパスポートを再発行してもらい、当座のお金も貸してもらいました。」
「え~! パスポートはわかるけど、お金も貸してくれるの?」
「そうです。まだ旅を続けたい事を言ったら、結構貸してくれましたよ~!」
何でも奥深いものだと思った。
日本大使館は、そこまでやってくれるのか。
いつも、一人で旅している私にとっては、少し安心な情報である。
しかし、この青年はすごい経験をしたものだ。
道理で「旅する力」が備わっている訳だ。

「そしてそのあと、どうなったんですかあ?」
ヨハネスブルグでの出来事を尋ねると
青年は,
「空港からのバスを降りて、ホテルを探して大通りをウロウロしてたら、まだ5分もしないのに、黒人達に囲まれて、下着以外すべて盗られてしまいました」
「それでどうしたの?」
「周りには、いっぱい人がいたんですよ。誰か一人くらい助けてくれると思ったんです。みんな、完全に見て見ぬふりでした。」
「結局、他の通行人の人も、自分の身を守るので精一杯なんだねえ。」
ヨハネスブルグの治安は悪いとは聞いていたが、やはり本当だったのだ。

ニャンウー村を出た車は、昨日通って来た空港からの道を逆に走っていた。
車内では、お互い今までどんな国に行ったとか、日本ではどこに住んでいるとか、そんなようなことを話し続けた。
「今までで、どこが一番良かった?」
青年に質問してみた。
「ん~、良かったかどうかはわかりませんが、すぐに頭に浮かぶのは、南アフリカです」
「どうして?」
「ヨハネスブルグで~~」
と、そこで言葉に詰まった。
「やっぱり! やられた?」
私は反射的に言葉を返していた。
私達、バックパッカーの中では、
「南アフリカと言えばヨハネスブルグ」
「ヨハネスブルグと言えば世界一の治安の悪さ」
この街では、日本人に限らず観光客と見るや否や、バスの中まで襲ってくるという。

玄関の敷石に座って前の通りの往来を眺めていると、それらしき青い車が一台こちらに向かって走ってきた。
昨日の青年だった。
そして、車はやはり「カローラ」だった。
「待ちましたか?」
「全然、大丈夫です!」
そして、後部座席に乗せてもらった私は、あらかじめ用意していた15ドルを彼に差し出した。
「いやあ、自分からお誘いしたので、今日はいいですよ」
と遠慮している様子だったが、
「何言ってるんですかあ........」
無理やり、彼の胸ポケットに押し込んだ。
「どうもすみません」
「そんなん、当たり前やん........」
そして、ポッパ山に向けてカローラは走り出したのだった。

ポッパ山の方角

約束の7時半に迫ってきた。
今日はどんな1日になるのだろうか?

今から行く「ポッパ山」は、ここから50キロほど南東に行ったところにあるのという。
切り立った岩山の上に「天空の城」のような寺院があるらしい。
事前に本で写真をみたことがあったのだが、今からここに行けると思っただけで、実にワクワクする。
かつて、いにしえの大噴火の際、山頂部が吹き飛ばされて、今の岩山がこの場所に落下してきたのだそうな。

ポッパ山(これに今から登るのだ)

ふと、我にかえり、時計に目をやった。
そうこうしているうちに、昨夜、例の青年と約束した時間が迫ってきたのだ。
屋台のおやじに、いくらだったか、わずかばかりの支払いを済ませて、もと来た道を戻ることにした。
人間というものは不思議なものである。
腹に物が入って満たされると、微妙に物事に対する見方が変化してくる。
さっきまで、周りの人達に少しばかりの警戒心を保っていた私だったが、腹が満たされ、ゆったりとしてくると、それも知らぬ間に忘れてしまっている。
別に何が入っているという訳ではなかったが、小さい手提げ鞄を隣の丸椅子の上に置いたまま、うっかり立ち去ろうとしていた。
隣で食っていた老人が、危うく知らせてくれた。
旅の先は長い。
気を引き締めて行こう。

私の「旅」も、まだごく初期の頃は、「何か華やかなものを見てやろう」とか、高い山の登頂ではないが「あの有名な場所に行ってやろう」といったように、一種の「達成感」を求めて出かけている一面が多かった。
しかし、ある程度「達成感」に満ちてくると、今度は次第に自分の中で「旅」の性格が変化し始め、やがて誰でもが訪れるような「観光地」に対する興味が少なくなってきた。
そのうちに「観光地」は、「旅」をするための「単なる指標」「ジャンクション」的なものに過ぎなくなってくるのだ。
言いかえると「観光地」は、これから「旅」の進路を頭の中で空想して組み立てる時の、単なる腰掛け的な通過点的な要素を帯び始める。
考えて見てもそうではないか!
そもそも非日常、非現実を求めて、今の自分には無い「もうひとつの人生」を発見するために、誰しもが「旅」に出かけるのに、「観光地」にはわざわざ「今の自分」が心地よいような工夫がされてしまっている。
綺麗なホテルに綺麗な道路、不必要に多い店。
そして何より「観光地」で、自分の地元の顔馴染みに偶然合うといったことだってある。
本当に有名な「観光地」になると、そこにはもう現地の人よりも、押しかけた「旅行者」の方が多くなってしまい、結果的にこんな遠くに来て再び「日常的生活」に戻ってしまうのである。

知らない国に来て、道路際に腰掛けて、前を行き交う人や車の流れを何も考えずに眺める。
実はやってみると、こんなに楽しいことはないのだ。
別に、何があるという訳ではないごく日常的な風景。
とかく「旅」を「観光」と同じ意味に捉えがちであるが、我々の言うところの「観光」では、主だった寺院や名所旧跡、華やかさを備えた自然造形物に軸足が置かれ、その間の何も無い移動の部分は、単なる「移動のエリア」と受け取られ、「何も無い」ことがことさら強調されてしまう。
しかし、この「何も無い移動のエリア」に実は「旅」の醍醐味があるのだ。
これもまた「深夜特急97」で、大沢たかおが、バンコクの「ファラポーン中央駅」のインフォメーションで、「どこか何も無い街を紹介してくれ」と尋ねて、タイ南部の「チュンポン」に行く決意をしたあれと同じだ。
沢木耕太郎氏も、「バンコク」や「アユタヤ」などの所謂「観光地」を廻る「観光」から「旅」に変化した瞬間であったのかもしれない。

今度は、道の反対側のパラソルの屋台に顔を出してみた。
先ほどと違って、一見オーソドックスなサンドイッチのような朝食が提供されているように見える。
さっきから、あちこちでいい匂いが立ち込めているので、腹の方は朝だというのに空腹の限界点に近づいていた。
そして、すぐそばで村人が食べている姿を見て、気がつけば自然と一人前注文してしまっていた。
「注文したぞ!」という妙な達成感から少しホッとして、椅子に座りながら、道路を行き交う馬車や自転車を目で追っていると、徐々に副交感神経が優勢となり、頭がぼーっとして気持ちよくなってくる。
屋台の主が、数個の卵をボールに割り、勢い良く撹拌し始めた。
そして、ほどよく混ざったところで、アツアツに熱せられた鉄板の上に、パチパチ音を立てながら薄く広げていた。
この頃になると、空腹感も最高点まで上昇してきて生唾を飲み込んでしまうようになっていた。
程よく卵が焼けたのを見計らい、主は食パンも鉄板の上に置き、あとは野菜類を載せ始めた。
出来あがるまでの、わずか5分くらいのことなのだが、今の日本ではあまりなくなってしまった、昔を思い出させてホッとさせてくれる瞬間だった。

道端に並べられた丸椅子に地元の人達が腰掛けて、それもこんな朝早くから食べている。
ちょっと覗いて見たが、何を食べているのか見当がつかない。
首をかしげていると、朝飯屋のおばさんが私の腕を掴んで大きなバケツの中を見るように促した。
「ナマズの親分!」だった。
たぶん、ナマズだと思うのだが、確かに顔の両側からあの不気味なヒゲが生えていた。
すぐそこに流れている「エーヤワディー川」で捕まえたのだろう。
そして、この身を焼いて、何か炒めものにして、お粥といっしょに「朝定食」として出していたのだ。
しかし、私はあのナマズを見てしまったので、どうしても食べる気にはなれなかった。

南国の早朝はどこもよく似ている。
お決まりのように、どこからともなく鶏の鳴き声が響き、早起きの女性が自分の家の前の道に、夜の間に無造作にたまったゴミを、大きなホウキで「シャー、シャー」と音を立てながら掃除している。
大概は夕刻にやってくるスコールなどが綺麗に洗ってくれるので、ほおって置いてもよいものだが、昨夜は全く降ったような形跡はなかった。
少し街の中心の方に向かって歩いてみると、道の左右にこんな朝早くから「朝飯屋さんの屋台」がオープンしていて、ビーチパラソルのもと、何か鉄板で料理を始めていた。
もの珍しく眺めていると、全くわからないが「食べていって」と言わんばかりに、私に向かって手招きする。

旅先での起床はいつも早い。
まだ5時だというのにもう目が覚めて、もう一眠りができないのだ。
普段、平日なら眠くてギリギリまで起きることができないのに、休みの日に限って早く目が覚める、あれと同じだ。
昨夜、レストランでポッパ山行きの約束をしたのだが、迎えが来るまでまだだいぶ時間がある。
もう目が覚めてしまった以上、部屋でじっとしていても退屈で仕方がないので、ちょっと近くを散歩することにした。
そして、部屋の鍵を預けにフロントに立ち寄ったのだが、人の気配がない。
少し考えたのだが、鍵を持ってそのまま出かけることにした。
玄関のドアを開け、一歩外に出ると、昨夜まであんなにジメジメしていた空気が、なんと気持ちの良い、ひんやりとした朝もやを含んだ空気に代わっていることか..........
朝の新鮮の空気と、まわりから聞こえる熱帯の鳥のさえずりが、目覚めたばかりの頭に心地よい刺激を与えてくれる。

「明日は何時に車、チャーターしているの?」
「7:30です、どこのホテルですか?」
「ちょうど村のはずれの、アウンミンガラーホテルなんですよー」
「じゃあ、その時間に玄関のところにでも待っていてください」
と言って、持っていた紙切れに私のホテル名を書き込んでいた。
「ところで、この村にはいつ来たの?」
と尋ねてみると
「昨日の朝、ニャンウー駅に着いて、それから2日間、このあたりの遺跡をぐるぐる回っていました。」
「鉄道で来たんだ! あの地獄のように揺れることで有名な!」
「それで、明日、ポッパ山という訳なんです」
ヤンゴンから、このニャンウーまで鉄道があるということは私も知っていた。
しかし、かなりの時間がかかることと、一晩中、地獄のような激しい揺れに悩まされるという旅仲間からのアドバイスに、私はあっさりと負けてしまった。
やはり、沢木耕太郎氏が以前語っていたように、本来、旅にはガイドブックや必要以上のお金は無い方が良いのかもしれない。
「じゃあ、そろそろ帰って明日に備えるとしましょう」
そして、明日の再会を約束してそれぞれのホテルに帰って行ったのだった。

パガン遺跡

挨拶が交わされてからは、お互い自分の食器を持ち寄り、ごく自然に同じテーブルに合流した。
「関西からですか?」と尋ねてきたので
「わかりますか?」
「言葉を聞けば.............」
こんな感じのやり取りが始まる。
「ところで.............」
何だろう?。
「明日の予定は決まってますか?」ときた。
「いや~、特に決まってはいないだけど、馬車でも貸し切ってあちこちパゴダを回ろうかと思ってるんだけどね」
そう言うと青年はこう切り出してきた。
「明日、車をチャーターしてあって、ポッパ山に観光に行くことにしているんですが、良かったらご一緒しませんか?」
「車、いくらでチャーターしたの?」
「30USドルです」
私も「ポッパ山」には行こうと思っていたので、話は早かった。
「じゃあ15ドルづつで折半にしましょう!」
あっという間に話が進んだのだ。

パガン遺跡

10分くらい、今日通ってきたルートを思い出して旅の瞑想にはまり込んでいると、給仕さんが注文の品を運んできた。
「やはり、中華は裏切らない」
旅先で迷った時は中華に限る。
オーソドックスなところで、チャーハンに焼きそばなのだが、腹が減っているからか、地元の「王将」が懐かしいからか、あるいは本当に美味しいのか.............
こういうところで食べる中華は当たり外れがあまりないように思う。
あまりの空腹感から、しばらく周りのことには目もくれずガツガツと食べていたが、半分ほど平らげたところで、店内を一通り見渡すと先ほどまで賑やかにやっていた白人連中はどこかに消えており、奥の席にポツンと一人、日本人か韓国人らしき青年が食事をしていた。
メジャーな観光地ではこういう事はよくあるので、特にこちらから話しかけるようなことはなかったのだが、この時はしばらくして目が合ったのをキッカケに、この青年の方から「一人ですか?」と話しかけてきたのだった.................

レストランの奥にあると思われる厨房から、中華特有の活気が伝わってくる。
炒めものを中華鍋でやる時、シャモジで叩く音。
恐らくは、ネギか何かを中華包丁で刻む音。
熱くなった餃子の鉄釜に、勢い良く水を振り掛ける音。......................
料理が運ばれてくるまでのゆったりとした至福の時間である。
この時間帯はいつもこういう感覚に支配されるのだが、「遠いところに来てしまったものだ」とか「自分はこんなところで一体何をしているのだろうか?」......
もう15年くらい前、「深夜特急'97」のドラマの中で、「大沢たかお」ふんする沢木耕太郎氏が、イランの「アルゲバム」近くの塩の湖の畔で、夕暮れに向こう岸の街の灯りを見て「一体、こんなところで何をしているのだろうか?」と言ったあの感覚と同じかもしれない。
ただし、私はこの人達のようにカッコよくはないが..................

道の向こう側のパゴダがよく見える席に私は腰を落ち着けた。
メニューを渡され「何か飲み物はいかが?」と進められ、反射的に「Coke」と答えた。
かなりの距離を走り回り、相当喉が乾いていたのと、コカ・コーラなら世界中どんなレストランでも置いていないところなどない。
そして、給仕さんがコーラを取りに戻っていったあと、おもむろにメニューを開けてみた。
「まただあ~!」
意味不明のミャンマー語の文字と、100だの80だの、恐らく料金と思われる数字が並べられている。
「わからん!」
次のページをめくると、今度はミャンマー語に代わって中国語ときた。
なるほど、周りの客が食べているものを観察してみると、いかにも中華料理ではないか。
特に私は中国語が話せるという訳ではなかったのだが、以前に何度も中国を旅行して鍛えられていたので、メニューの漢字は少し理解することができた。
「ではこれにしよう」
そして、「上海風チャーハン」と、「広東風焼きそば」。
こういう異国の地で、更に異国の料理を注文する時は、無難なメニューに限るのだ。

シュエズィーゴォンパゴダ

ゲストハウスに自転車を返却した私は、目の前にライトアップされた「シュエズィーゴォンパゴダ」を左手に見ながら、ぶらぶらとニャンウーの中心方向に向かって歩き始めた。
100メートルも歩かないうちに、いきなりこじゃれたレストランがあるではないか。
オープンテラスになっていて、目の前のパゴダを眺めながら、白人の旅行者たちがビールを飲んで楽しそうだ。
ほんのちょっと立ち止まって店内を覗いてみると、間髪入れずにミャンマー人の店員が飛んできて、私の手を掴み店の中へと引っ張ってゆく。
私は私で、「まあ腹も減っているしここに決めるか」と心の中では思っているので、店員のおばさんに手を掴まれたまま自然に任せて店内へと入っていった。

何度も危ない思いをしながら、30分くらいでニャンウー村のはずれまで戻ってくることができた。
何だろう。この安堵感は。
昔、近所の少年たちと、自転車で遠出して道に迷い、見覚えのある場所まで戻って来れた時のあの安堵感と同じだった。
オレンジ色の街頭に照らされた道路が、周りの闇の中からくっきりと浮かび上がる。
その街頭の光に集まる蛾たちが、この暗闇の中にできたオアシスを喜ぶかのごとく乱舞して、霧がかかったように見える。
そして、ニャンウー村のメインロードで今夜の食事場所を探すのだった。

もう、今までに経験したことのないくらいの闇だ。
ただ、幸いにも地面のところどころには草が生えていない「ワダチ」のようなところが続いていて、なんとか元来たニャンウー村に通ずる幹線道路まで戻ることができた。
しかし、安心したのもつかの間、今度はこの幹線道路を沢山の自転車が行き来しているのである。
しかも、このあたりに走っている自転車はみんな無灯火だ!
そもそも自転車にライトなど付いていないのだ。
だから前から走ってくる自転車が全くわからない。
だが、ミャンマー人は目が良いのか器用にぶつかること無くすれ違っている。
私は怖くて仕方がない。
とにかく、前を走っている人のあとを静かに付いていくしかないのだ。

あまりにも人が少ないので、たまにハッとして冷静に考えてみると、追い剥ぎにでも出くわして、とんでもないことになりはしまいかと心配になることはあるが、他のことはさて置き、まあ足の速さだけは自信があるので、とことん奥の方へ進んでみよう。
どこをどう自転車を走らせたのか、ゲストハウスを出て、1時間ほど経つともう西の方向にどっぷりと日は暮れて、地平線のラインがわかるだけである。
この時点になって初めて肝腎な事に気がついたのだ!
「この辺り、一切、街灯など無いのだ!」
「これ以上暗くなると闇の世界になる。」
「しかも今日は月など出ていないし、曇り空だから星明かりは期待できない。」
そのようなことが頭の中を駆け巡った後は、もう一目散だった。
実際は道のない平原なのだが、今来た道を思い出して必死に戻る。
「ヤバい」
「ホンマに暗くなってきた」
もう完全に地面が見えなくなってしまった。
人生初めての経験。
街路灯というものの有り難み、日常いつもあるものが無いということが、こんなにも大変なことなのだということがわかった瞬間だった。

とかくアジア方向でいうと、どこに行っても人が多い、人口密度が高いというイメージがついてまわるところであるが、ここ「パガン」は反対に人が少ない。
それも、一歩村を出てしまうと、たまにしか人は見かけることはない。
パゴダの散らばる草原を自転車で走り回っていると、お坊さんや畑仕事から帰るお百姓さんとたまにすれ違うくらいだ。
そして、必ずニコッとして挨拶してくれる。
日本の都会などでは、あちこちで知らない人に対して、下手に笑顔を振りまいていようものなら、どんな目に遭うかわかったものではない。
でも、こんな日本にも昔はこの「パガンの挨拶」があった。
私も、子供の頃は近所の友達と道端で遊んでいると、知らない大人が入れ替わり立ち替わり、一声かけていったものだ。

遠くに目をやると、遥か地平線のかなたにまでパゴダが点在している。

なんとなく道はあるのだが、この適当なところが、少年時代、家の近所の原っぱで野球をしていたことを思い出す

いったい、この景色はどこまで続いているのだろうか。
いつまで居ても飽きることはない。
ここは、ストレスなどという言葉とは無縁の地だ。
5分も眺めていたら、完全に心にたまったものはどこかへ吹き飛んでゆく。

アナウップワーソー村の近く

道路の左右に大小様々なパゴダが点在している風景の中を、10分ほど自転車を進ますと、オールドパガンの入口を示す城壁が見えてきた。
蛇行している道は、ちょうど城壁が切れているところをすり抜けて、オールドパガンの内部へと入っていく。
この切れ目は「タラバ門」という名が付けられていて、周囲には水をたたえた堀も残っていた。
反対側の城壁から出たところに、ひときわ背の高いパゴダが見えるので、自然とその方向に引き寄せられてしまう。
そのパゴダの名前は「シュエサンドーパゴダ」だった。

もう、だいぶ日が傾いてきて、私の部屋の窓からもオレンジ色の光が差し込み、奥の壁まで照らしている。
とりあえず、完全に日が暮れるまでにはまだ少し時間がありそうなので、ちょこっと近くを散策することにした。
ホテルに頼んで自転車を借り、先ほどやってきたのとは反対の方向に走ってみた。
もうこの時間になると、流石に昼間の暑さも収まって風がまことに気持ちよい。
100メートルも走ると、すぐに村から外れ、まわりは畑やサボテンがところどころ生えるサバンナのような景色に変わった。
地図によると、このまま5キロほど真っすぐ進むと「オールドパガン」に至るようなので、とりあえず今日はそこまで行ってみよう。

オールドパガンへの道

いつもと同じように、念のため部屋を一度チェックし、お金を払うためにフロントに戻った。
そして、ポケットから15FECを取り出し、先ほどの女性に渡すと、何か隣にいるもう一人の女性とヒソヒソ話をして、「25ドル!」と言ったのである。
「何でや。さっき15ドルでOKて言ってたやん!」....................
私が抗議すると、何やら説明を始めた。
「外国人の旅行者は、このパガンエリアに入ったら、最初の宿泊先で入域料10ドルを支払ってもらうことになっているのです」
「それ、本当?」
近くにいた白人の旅行者がこっちを見てニヤニヤして、そうだとばかりに首を縦に振っている。
アンコールワットの入域料と同じことなのだろう。
結局、このお金で遺跡の保存修復費用に当てるのだそうだ。

このゲストハウスは、表通りから少しばかり中に入ったところに、白い屋根の付いた正面玄関があった。
ドアを開けると、すぐ目の前にあるカウンター越しに、2人の女性と目が合った。
とりあえず一泊で、安い部屋で構わないことを伝えると、今日は3人部屋しか空いていないのだそうだ。
「いくら?」と尋ねると、
「30ドル」と返事が返ってきた。
もうこの頃になると、私も「相場」というものが少しづつ解り始めていたので、ほとんど反射的に「高い!」と、頭の中で反応した..........
「もうちょっと、安くして..........」とニコッとして頼むと、おもむろに大きな電卓をカウンターの上に、ドンと置いて、何か考えながら数字を打ち込み始めた。
そして、反対にクルッと回して私に数字を見せた。
「22ドル」とそこには書かれてあったが、私の頭はまだ高いと反応している。
「15ドルではどう?..........」さらに言ってみると、意外にもあっさりと「OK!」の返事。
海外のゲストハウスではこんなことがいくらでもあるのだ。

さて、このゲストハウスはどんな感じなのだろうか?
日本に居ても、しかもどんな人でも同じことだが、ホテルに入ってチェックインして部屋に通され、見た瞬間というか、この間の時間は「旅」を構成する項目の中でも、かなり重要なウェートを占めていると思う。
誰でも一度は経験があると思うが、旅先で期待していた部屋が、思っていたのと違った時のあの「ガッカリ感」は味わいたくないものだ。
ある意味、「一種の賭け」的要素が大きい。
これもまた「旅」を構成する一つの醍醐味なのだが....................。

いつものように、いろいろとこのゲストハウスの気配を観察しながらフロントへと進むことにする。
ホテルに限らず、どんなお店でもそうであるが、そこの敷地に足を一歩踏み入れてから、玄関、フロントへと進むうちにいろんな情報がわかる。
ここは、清潔なのか、高いか安いか、セキュリティーはどうか?
そしてこれが一番重要なことなのだが、この旅館の人間は「ヤバい」かどうか。
日本にいると考えもしないけれど、海外では、日本の「例外」が、海外の「常識」になっていることもたくさんある。 
ほんの一例だが、国によってはホテルのセーフティーボックスも危険な場合が有ったりする。
ホテル選びは、そう言った意味では「見抜く力」が必要だし、旅を通じて鍛えられてゆく。
いろいろ旅していると、今までの膨大な量の経験が、頭の中で無意識のうちに分析を始め、フロントの人間と話す時には既にある程度のこのゲストハウスに対する評価は、自分なりに出来上がっているものだ。

アウンミンガラーホテル
結局3人部屋しか無く、1人分の料金にしてもらった

この地方特有の乾いた熱風が背中の汗を蒸発させ実に心地よい!
さらに500メートルほど進むと、右手にこの村のバスターミナルが見え、そのすぐ奥にはひときわゴールド色の搭が輝く「シュエズィーゴォンパゴダ」が見えた。
やがて、馬車使いの兄さんは左の手綱を思い切り引いたと思うと、馬の首が90度左に向けられ、目の前にある建物に横付けされた。
「ここがアウンミンガラーホテル?」と尋ねると、ほんのわずかだけ兄さんは首を縦に振り、到着したことを私に伝えた。
この頃になってようやく気がついたことなのだが、ミャンマーの人々は「シャイ」なのか、外国人に対してあまり積極的に話したがらないようだ。
かといって興味が無いわけではなく、何かをキッカケに一度仲良くなってしまうと、それまでがウソのように人なつっこい。
その点では日本人とも、どことなく共通点が多いような気がする。
そして、人生初めての「馬車タクシー」の短い旅が終わった。

ゲストハウスの裏も、すぐこんな景色だ