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「深夜特急」の世界に憧れて (回想録 XX年)
10分くらい馬車に揺られていると、徐々に街らしくなってきて、さっきまであれだけ人がいなかったのが嘘のようだ。
サパダパゴダの前を通り過ぎ、マーケットのところを大きく左折すると、しばらくこの村のメイン通りである。
たくさんのゲストハウスや食堂が軒を連ねている。
雰囲気的には、昔の西部劇の街のアジア版と言った感じだ。
道からは、ちょっとした風で砂ぼこりが舞い上がり、馬車使いが目を細めている。
不思議な光景だ。
本日の第一希望の「アウンミンガラーホテル」は村の反対側のハズレにあるから、もう少し馬車に乗り続けなければならないのだが、万一、満室だったり気に入った部屋が無かった時のことを考えて、第二希望のホテルを物色しておこう。
客待ちの馬車があちこちに停車しているせいで、路上には馬の糞がゴロゴロ落ちている。
夜になって散策する際には、要注意だ!

サボテンも、ところどころに生えている
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のどかな光景だ。
馬車のお兄さんが、時々、意味の解らない奇声を発して、むちでビシビシやっている。
馬車に後ろ向きに乗っているので、私からは延々過ぎて行く景色が、列車の最後尾から見るのと同じだ。
道は、パウダー状の砂が適度に踏み固められていて、馬車の大きな木製の車輪がはまってしまうようなことはない。
左右を見渡すと、木々の間から無数の寺院の搭が垣間見える。
大小様々で、しかも、近くに見えるもの、遠くに見えるもの、いろいろなものが相まって実に幻想的な風景だ。
生きている間に、この景色が見れただけでも十分満足できるだけの価値はある。

客待ちの馬車の列のところまで歩いて行くと、こちらが何も言わなくても、一番前の馬車のお兄さんが、私のリュックを持って荷台に積み込もうとした。
「まだ乗るかどうか決めてないて....................」
「アウンミンガラーホテルまでいくら?」
「1USドル」
高いのか安いのかよくわからない。
「まあ、ええかあ」
そんなことをしていると、さっき乗ってきた飛行機からお客たちがゾロゾロとこちらに向かって歩いてくるではないか。
馬車は全部で5台しかないので、これを逃すといつになるかわかったものではない。
「OK!」
お兄さんに、1ドル渡して出発したのだった。

ニャンウー村への道

ほとんどの場合、私はチェックインの際、荷物を預けるようなことは無いので、結果的にニャンウー空港の建物からは、気がつけば一番乗りで正面玄関に出ていた。
さて、これからは今日の宿探しだ。
地図上では、ゲストハウスがたくさんあるニャンウーの村まで3キロくらいだから、歩けないことは無いが、道があまり舗装されていないことと、この荷物だ。
事前の予習で、この村にはタクシーというものはほとんど無く、代わりに馬車がその役割を果たしているという事だったが、やはりまわりを見渡しても車など止まっていない。
しかし、この時代、信じられないようなことだが、50メートルほど向こうに、目を凝らしてみると、馬車が5台ほど停まる「馬車乗り場」があったのである。

この村ではこれがタクシーなのだ

まるで草原の中に舞い降りたような感覚にさせられた。
周りの白人の旅行者達も、感無量のような表情をしている。
隣りのイタリア人も、わざわざカメラで滑走路から見える草原を撮っていた。
さて、荷物を降ろして出発だ!
再び開けられた後方のドアから身を乗り出すと、ヤンゴンとはまったく違った暑さだ。
さっき上空でガイドブックを読んで予習したところ、このミャンマー中部地方は乾燥地帯で、半砂漠状態だという。
あちこちにサボテンも生えているのだ。
生来、砂漠好きの私にとってはたまらない。
本格的なアラブあたりの砂漠の記事は、いずれ遠い将来に書くこととして、今回はこのミャンマー中部の乾燥地帯を楽しむとしよう!
とにかくカラッとした太陽光線だ。
ヤンゴンと違って、あまりベタベタしない。
心地よく吹く風が気持ちよい。
まわりを見渡しても、飛行機はこのプロペラ機だけ。
目の前には、まるでローカル線の無人駅の駅舎のような建物が一つ。
思っていたとおりの、理想的な旅が始まった!

パガン遺跡(画面中央の道をレンタサイクルで走るのがまたたまらない!)

30分も飛行するともう降下体制に入った。
エンジンの音色が変わり、耳の鼓膜の具合がおかしい。
眼下にあった雲海があっという間に、丸窓と同じ高さに上がってきた。
そして、しばらくの間、真っ白な雲に覆われた数分が過ぎると、パガン周辺の景色が見え始めた。
以前から、あこがれていた遺跡だ。
このあたりだと、カンボジアのアンコールワットはもう有名になってしまったけれど、こちらのミャンマーのパガン遺跡はまだまだ知られていない。
たぶん、アンコールワットと違って外国から乗り入れる直行便が無いからだろう。
私的には、このまま静かにそっとしておいて欲しい。
そしてまた20年ほどして、訪ねてみたい、そんな心のふるさとのような場所なのだ。

パガン遺跡

全員が乗り込むまでにさほど時間はかからなかった。
ドアが閉められると、あっという間に両翼のプロペラが回り始め、滑走路に向かって動き出した。
大きさから言って、全くバスと同じだ。
パガンまでは約50分。
空の旅を楽しもう!
やがて、プロペラの轟音をたててふわりと離陸した6T501便は北西の方角に向かって上昇していった。
そして、1分もしないうちに雲の中に吸い込まれてしまい、ヤンゴンの街はあっという間に見えなくなってしまった。

ガイドブックによると、エアーマンダレーはミャンマー国内の飛行機会社の中では、最もグレードが高いということになっている。
白いボディーに茶色のライン。
100メートルほど滑走路を歩いて機体のところまで。
アイドリングと言っても流石に飛行機だ。
ゴーゴーと鳴る音。
飛行場特有の音だ。
小さいプロペラ機なので、搭乗にはさほど時間はかからなかった。
階段を上がれば、真ん中に通路が一本、左右にそれぞれ2列。
上の棚にリュックを入れ、自分の指定された窓側の席に腰を落ち着ける。
しばらくすると、隣りの通路側の席にイタリアから一人旅に来たという、年の頃なら40歳くらいだろうか、金髪の女性が座ってきた。
そして、「ロンリープラネット、ミャンマー編」を出してきて勉強を始めたのである。

パガンは左最上部

定刻の30分前になると、先程チェックインの時にカウンターで作業をしていた見覚えのある女性が、どこからともなく現われて、待合室のドアにかかる鍵を開けた。
ドアと言っても、木で出来た枠にガラスがはめ込んであるだけの粗末なものである。
開ければそこはもう滑走路だ。
気の早い乗客がいち早く、ボーディングパスを女性に渡して半券をちぎってもらっていた。
そして、滑走路に出るや否や、見るからに立派そうなカメラをプロペラ機の方に向けて、パチパチやっていた。
席は決まっているので急ぐ必要は全く無いのだけれど、私もあとに続くことに..........
ちぎってもらった半券を受け取り、私も滑走路へ。
建物を出た途端、熱帯特有の生ぬるい風がギラギラした太陽光線を和らげる。

にわかに、滑走路の端に生えているススキのような植物が風になびきだし、風が強く吹き出したことを示している。
その時、ちょうど搭乗1時間前を知らせるアナウンスが流れた。
そしてしばらくすると、滑走路の左側はるか後方から一機の飛行機が、先ほど降った路面に溜まった水を、真っ白な水しぶきを立てて着陸してきた。
たぶん、これが私の乗る「6T501便」かな?
じーっと眺めていると、私のいるターミナルの正面を左から右に、猛スピードで通過していった。
やがて徐々に減速し、滑走路の右端まで来ると、クルッと方向転換してこちらに向かってきた。
「もしかして、これ~?」
というくらい小さいプロペラ機だ。
どんどんこちらに近づいてきて、この待合室のちょうど正面あたりにピタッと停止した。
飛行機というよりもバスという感じだった。
やがて機体の左右のプロペラの回転が止まり、左後方のドアが上から下に向かって開き、それがそのまま乗客が降りる階段となったのである。

よほど小さな飛行機なのだろう。
それとも、客が少なくガラガラなのか?
閑散としている..........。
簡単なボディーチェックを受け、薄暗い通路を進むと、駅の売店のような小さなお土産売り場があり、その奥の待合室には30人程度の乗客が、思い思いの時間を過ごしていた。
室内を見渡すと、壁のやや上方に、額に入ったさぞ立派そうな軍人の写真が飾ってあった。
あまり見たことの無い顔だが、多分軍部のトップか総統か、そんなとこだろうか..........
ガラス越しに滑走路が見えている。
このあたりはデルタ地帯のため、どちらかと言うと山は少なく、遥か遠くまで見通せる。
そしてどんよりと曇った空と滑走路の果てが、限り無く遠くで左右に一直線に接する。
日本では、特に私の住む京都では、こんな景色は絶対見られない。
これだけでも、ミャンマーまで来たかいがあったと言うものだ。

ヤンゴン空港のターミナルの建物は、国際線と国内線が合体して一つになっている。
もちろんこの国では最大の大きさなのだが、実際の大きさはびっくりするくらいに小さいのだ。
昨日、バンコクから到着したときは
、建物をゆっくり見る余裕など無かったのでわからなかったが、この地にも少しづつ慣れ始めてきたので、今日は色んなものが目に入る。
玄関の入口で、簡単なチェックを受け中に入ると右側が国内線のカウンターになっていた。
木で出来た古いチェックインカウンターで、私の乗るエアーマンダレーのニャンウー行きは一つしかなかった。
「6T501」の札が掛けてある..........
すでにそのカウンターには、やはり白人のバックパッカーが数人、たいそう大きな荷物を預けて雑談していた。
作業ものんびりしているので相当待たされが、やがて私の番が回ってきて、チケットを渡し窓側を頼みボーディングパスを受け取った。
そして、それを見てびっくりした!
どうやら、この国内線のチェックインカウンターにはコンピューターといった類のものは無いようで、座席表に貼ってあるシールをボーディングパスに貼り付けて、それに私の名前をペンで記入しただけのものだったのだ。
「この席でいい?」
と言って紙に座席の分だけシールの貼ってある台紙を見せられ、私は希望する席を指差したのだった。

フロントのセーフティーボックスから中身を返却してもらい、部屋に戻った私は、時間に押された心地よい緊張感から、自然と荷造りの作業が図った。
私のようなスタイルの旅行者は、リュックに適当に詰め込むだけなので5分とかからない。
忘れ物がないかチェックして、ついでに洗面所の余っている新しい石鹸も詰め込む。
これから行くミャンマー中部あたりは、恐らくゲストハウスと言っても、場合によっては、石鹸すら置いていないかもしれない....................。
また、一つ思い出をあとにする。
部屋を出ていく時、いつもそう思う。
何故か理由も無くこの瞬間は、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」を無意識に口ずさんでいた。
今まで何回こういう情景があったことだろう。
「お世話になりました。」と心の中でつぶやいて211号室を去る。
そして、フロントにキーを返しチェックアウトし、ホテルを後にした。
「たぶん、ここもまた再び来ることは無いんだろうなあ~」
そして、マハバンドゥーラ通りまで出て、タクシーで空港へと向かったのだった。

シュエダゴォンパゴダの癒やされる参道

いつものことなのだが、一つ一つの観光地や旅の最後、その国を後にする時、「もう二度とここを再び訪れることは無いかもなあ」とか、「最初で最後かも」とか、少し感傷的な気持ちにさせられることがある。
ここシュエダゴォンパゴダもそうだった。
まるで、松任谷由実の曲「香港ナイトサイト」のような情景だ..........。
今回もホテルまでの帰り際、タクシーの後方にどんどん小さくなってゆくあの仏塔を振り返っては、そういう気持ちにさせられてしまった。
「旅に来てる~~!」という実感。
....................
時計を見ると、針はすでに11時半を差している。
ちょっと時間が押してきた。
ホテルに着いたら速攻でチェックアウトしなければ不安な時間帯になってきたのである。

シュエダゴォンパゴダ

お坊様がどこかへ去って10分もすると、あれだけ激しい降り方をしたスコールも、嘘のようにサッとあがってしまった。
しかし短時間とは言え、すぐそこも真っ白になるくらいのスコールだったので、ここは丘の上だから問題ないが、一体市街地はどうなっているのか心配なくらいだった。
さあ、グルッと一周してそろそろゲストハウスに戻ろう。
お堂を出て地面に足を踏み出すと、さっきの雨が石の上にまだ残っていて、滑りそうなくらいだ。
そして足の指で、じゃぼじゃぼと音を立てながら一周して、またあの癒やされる参道の入口へと戻ってきた。
「何か一つくらい記念に買っていきたいのだが..........」
超スローペースで階段を降りながら、左右のお店の商品に目をやる。
仏像、絵画、骨董品..........どれも重そうだし、第一かさばる。
まだ旅は始まったばかりだし、何か買うにしても軽くて小さなものにしなければならない。
そして、もうほとんど出口近くに来た頃、登りの時に少し会話したお店のおばさんと、再び目が合った。
「とにかく店の中を見てよー」という感じだったので、促されるままについていった。
ほとんどが置物か何かだったが、一つだけ小さい小物入れに目が止まった。
神秘的な模様で、しかも小さく軽い。
「これくらいだったら荷物にならないだろう。」
「いくら?」
「500チャット!」
普段、あまり土産物など買わない私だが、今回だけはとんとん拍子に進んでしまった。

激しいスコールにみまわれて、しばしお堂の中で足止めを食うことになった。
そしてお堂の中心部へ進むと、大きな金色の柱に守られて、これまた金ピカの仏様が、沢山のお花やお供えに囲まれて、堂々と座っておられる。
そして次々に、たぶんさっきの参道で買ったと思われる花束を持って、意外にも年齢の若い人達がお参りをしている。
お寺の、この独特な、人を落ち着かせる空気は一体何なのだろうか?
仏様か、それとも線香の匂いか?
ここに、このようにして、仏様や人々の姿をゆっくりと眺めていると、普段抱いている悩み事や苦しみが確かに小さく感じられる。
よく掃除のされたピカピカの床に腰掛けて、じーっと眺めていると、知らぬ間に私の横にかなり年をとった僧侶が近寄ってきた。
そして、カタコトの英語で、どこから来たのか聞いてくる。
「日本」と答えると、このシュエダゴォンパゴダの歴史について説明を始めた。
すごく恥ずかしいことなのだが、今まで色んな国で、頼みもしないガイドを最後まで聞いて、金を請求された痛い経験があるので、反射的に一瞬疑ってしまった。
とても自分が恥ずかしい。
このお寺のお坊様だから、そんなことは有るはずが無いのだが..........。
このお坊様の説明によると、このシュエダゴォンパゴダは、「2500年以上前、二人の兄弟の商人が、インドでブッダと出会って、その時8本の髪の毛をもらい受け、紀元前585年にこの地に奉納したのが起源」だそうだ。
そして、またお坊様は静かに去っていった。

境内の、あまりにもきらびやかさに、しばし我を忘れてあちこち歩き回っていると、にわかに空の雲行きが怪しくなってきた。
さっきまであれほどギラギラと照っていた太陽はどこかに消えてしまい、代わりに真っ黒なそれも低く、まるで水面に垂らした墨汁のごとくこちらに広がってきた。
「ちょっと、ヤバいかな」
と思ったのも束の間、やけに涼しい風が吹き出したのに続いて、あちこち「バタバタ」と音を立てて、大粒のスコールがやってきた。
「傘、持ってないのに..........」
仕方ないので、お堂に入って一休みとするかあ..........
ありがたいことに、ここはあちこちに屋根付きのお堂があって、仏様が奉られている。
そうこうする間にも、スコールはどんどんきつくなり、もうなすすべもない状態になっていた。

シュエダゴォンパゴダ

一体、何段あったのか。
本当に癒やされる参道を登り切ると、一気に視界が開けた。
そして拝観料の切符売り場で、料金の5FECを支払うと、切符の代わりにシールのようなものをくれた。
切符売り場のおばさんは、それを胸に貼れと言っている。
まわりを見ると、確かにみんな貼っている。
「まあ、ところ変われば色んなやり方があるわなあ。..........」
そして、シールを胸に貼って、今度は上を見あげると、シュエダゴォンパゴダの中心の仏塔がそびえ立っている。
100メートルはあるだろうか..........
しかも、ゴールドの輝きがあちこちから眩しい。
「地球の歩き方」によると、金箔8688枚、5451個のダイヤモンド、1383個のルビーが散りばめられているという。 
下の入口のところで靴を脱いでからというもの、ずっと裸足なのでなんとなく妙に新鮮な気分で、気持ちが良い。
普段、外を裸足で歩き回ることなどあまりないし、もしかしたら学生時代に行ったプール以来かもしれない。
そして、時折降る雨によって適度に濡れていて多少なりとも灼熱の太陽を和らげてくれる。

シュエダゴォンパゴダ

入口で靴を脱ぎ、これから登る参道を見上げた。
参道と言っても、階段になっていて、しかも屋根がついている。
ちょうど屋根のついた清水寺の参道といったところだろうか。
だから、階段の両サイドにはいろんなお店があって本当に楽しい。
お寺にお供えする花や饅頭屋、食堂、仏像屋に何故か金物屋。
土産物屋には、これまた何故か「松たか子」のブロマイドが売っている。
松田聖子や山口百恵のもある。
しかし、松たか子のがあちこちで見かけて、ダントツに多い。
そして結構これが売れている節があるのだ。
私が日本人だとわかると、何人かの若者がポケットからおもむろにこれを出して見せたのだ。
「松たか子のドラマか何かが、ミャンマーでヒットしたのだろうか?」..........
そして、この階段は全部で100メートル程あるのだが、ここで商売している人たちが、またなんと優しい!
会う人会う人みんなニコッとしてくれる。
とにかく癒やされるのだ。
別に、何か売り込んでくるでもなし、目が合えば微笑んでくれる。
「本当の豊かさ」とは、もしかしたらこういうことを言うのかもしれない。
ここミャンマーには、確かに「物質的な豊かさ」は無いかもしれないが、その代わり「心の豊かさ」にあふれているように、私の目には写る。
日本ではこんな経験、絶対にできないので、もうこのままここに住んでやろうかとさえ思ってしまうほどだ。
この参道はそんな楽しい場所なのだ。

シュエダゴォンパゴダ(やっぱりみんな裸足)

シュエダゴォンパゴダまでは、10分もかからなかった。
タクシーは、南出口の前に停車し、約束の1000チャットを支払い下車した。
そして、目の前の建物を見上げるや否や、その圧倒的な大きさに一瞬体全体が固まってしまった。
「さすが、ミャンマー国民憧れの地、シュエダゴォンパゴダだ!」
ここは小高い丘を利用して造られていて、ちょうど今そのふもとに立っている。
2500年前に造られたというのだが、そんな長い間歴史の風圧によく耐えてきたものだ。
さあ、登ろう!
まず、入口で靴を脱ぐ。
ミャンマーの寺院はどこも入口で靴を脱ぐのだ。
入口と言っても、敷地の入口であって建物の入口ではない。
だから、京都の清水寺で例えるならば、拝観料を支払う門のところで靴を脱いで、そのあと境内を裸足で歩くことになる。
しかし、だからといって心配は全くないのだ。
絶えず、あちこちに清掃する僧侶らがいて、石で固められた地面はピカピカに仕上げられている。

シュエダゴォンパゴダ

相変わらず、このタクシーも含めて周りはみんな日本車ばかりだ。
それも一昔前の..........。
このタクシーも「カローラ」なのだが、年式が、私がかつて学生の時に乗っていた時代のものと同じなので、どことなく懐かしい。
学生時代は、食費を節約してでもガソリンを購入していたので、結局、12年乗って28万キロの走行距離で最後、解体屋に引き取ってもらった。
海へ山へと、あの車はどこへ行くのも一心同体となって「ナイトライダー」のごとく私を運んでくれた。
最後、解体屋のおじさんが乗った「カローラ」が遠くに見えなくなると、自然に涙があふれた。
だから、今こうしてあの時代の車に乗り、まわりも同じあの時代の車に囲まれていると、ふと私が乗っていたあの「カローラ」に再び会えるのではないかという気持ちが、フツフツと湧いてくる。
中古車として輸出され、ここでまた第二の人生を送っているのではないかと、まわりをキョロキョロと探してしまうのだ。
この街は、我々の世代にはたまらなく懐かしい記憶を引き出してくれる、そんな街なのだ。

シュエダゴォンパゴダ

ゲストハウスにトンボ帰りし、フロントに頼んでセーフティーBOXを開けてもらい、パスポートを抜き取った私は、再びエアーマンダレーのオフィスに戻った。
そして、今日の「6T501便ニャンウー行き」のチケットをようやく手にすることができたのである。
そして、この旅で消化しなければならない「FEC」も、めでたく181FEC使用できた。
次の目的地が決まると、どこかハツラツとしてくる。
日々、全く変化のない生活をしているので、明日する予定がまだわからない、出たとこ勝負の旅行は、自分が生きていることの再確認ができて最高だ!
さあ、12時のチェックアウトまで、このヤンゴンで最も有名な「シュエダゴォンパゴダ」を見学しよう!
今、私がいるところからは直線距離で2キロぐらいだが、道が曲がりくねっている上に高低差があり登り坂だ。
そしてこの暑さ。
迷うことなく、私はマハバンドゥーラ通りまで出て、タクシーに乗り込んだのだった。

シュエダゴォンパゴダ

さて、今日の旅のシナリオが決まると、自然に体が動きだす。
朝食も早々に、ルームキーをフロントに預けた私は、街に繰り出すことにした。
玄関のドアを開け一歩外に出ると、10秒もしないうちに汗が噴き出してくる。
そして、まず国内線のチケットだ。
地図上では、南に50メートル程のところにマークがある。
「だいたい、ここらあたりのはずなのだが?」
そのあたりを行ったり来たりしていると、どんどん汗が噴き出してくる。
そして、一筋東側を見てみると、ようやくエアーマンダレーの小さな看板を見つけることができた。
玄関のガラスには、航空会社のロゴマークやミャンマー各地の観光地のシールがベタベタと貼りつけてある。
ドアを片手で開けて中をのぞき込むと、カウンター式のテーブルになっていて、その向こうに店員の女性が一人座って、何か書類を見ているようだった。
私は、今日のニャンウー行きのチケットを買いたいことを伝えると、うつむいて書類を見ていた顔が、サッとパソコンの方に向きカチャカチャと調べ始める。
そして、「一人?」と聞いてきたので、コックリとうなずくと、今度は「181ドル」と返してきた。
ちょっと高いなあと思ったが、正規のチケットなので仕方がない。
そして例の「FEC」が使えることを確認して、181FEC分の紙幣を用意しようとすると、今度は「パスポート」と言ってきた。
「しまった! パスポート持ってない」
すぐそこなので取りに帰ってくることを伝えて一旦あとにした。
まあ、いろいろあるわあ。..........

運ばれてきた朝食を食べながら、ふと思った。
このホテルのチェックアウトは12時だから、それまでは市内観光をするとして、問題はそのあとどの方面に向かうかだ。
カリカリに焼かれたトーストにバターとジャムを塗り、大口でバリバリっとかぶりながらミャンマーの地図を開いた。
事前の予習では、ミャンマーの中西部にある「パガン遺跡」が超有名である。
「さあ、どうするか」
私の旅のスタイルは、いつもこんな感じだ。
行く前からギチギチにスケジュールを組んでしまったのでは、息が詰まりそうだし、かといって全く予習無しにやって来たのでは、後で後悔が残る旅になってしまうこともある。
とりあえず、例の「OAG」で国内線のダイヤを調べてみる。
ヤンゴンからバガン遺跡の空港「ニャンウー」行きは、今日の場合、14:00発の「6T501便」が載っている。
巻末の一覧表で「6T」を調べてみると、「エアーマンダレー」という名前の航空会社であることがわかった。
急に、頭のエンジンがかかりだした。
そうと決まったら、次はチケットだ。
市内地図の細かい文字を、目をスキャナーのようにして「エアーマンダレー」のオフィスを探す。
「なんやー、50メートルもないやん!」
ついている時はこんなもんだ!

ようやく朝食の時間になり、1階の食堂に降りて行った。
ガラス越しに中を覗くと、もう何人かの欧米人たちが思い思いに各テーブルに散らばって食事を始めていた。
私も、窓側の小さなテーブルを選んで腰掛けると、少し無表情なウェートレスがやってきて、ミャンマースタイルにするか、それともコンチネンタルするか聞いてきた。
私は、コンチネンタルを注文すると、きっちりとひかれた白いテーブルクロスの上に、ルームキーと「地球の歩き方」を置いて、周りの旅行者たちの食事風景をしばらく観察していた。
ウェートレスが厨房に帰って行ったあと、窓ガラスの向こうの通りをボーッと眺めていると、さっき昇り始めたばかりの太陽が早速あたりを照らし始めて、もう既にかなりの温度にしているようだ。
熱帯特有の日差しだ。
往来する人びとのしかめた顔の表情から、既に焼けるような暑さになっているのがわかる..........
この時間は、私が旅で最も好きな時間帯だ。
このどこか緊張感のない、まったりとした朝の朝食の空間。
どんな治安の悪いエリアであっても、ホテルの朝食のレストランまでは大丈夫だ。
この気が抜けるひとときが旅の喜びの一つでもある。

もう、朝なのだろうか?
窓の方を見てもまだ薄暗いのだが、やけにニワトリの鳴き声があちこちから響く。
それと、熱帯特有の鳥の甲高い鳴き声も聞こえてくる。
昨夜、あまり熟睡できなかったというのは、一晩中トイレ兼用シャワー室の方から、何かカエルの鳴き声のような音が聞こえて何回も目を覚まさせられたのだ。
実は、例のヤモリが鳴いていたのだ。
私はこの旅で、初めてヤモリが鳴くという事を知った。
それにしても自然がいっぱいだ!
関心している場合ではないのだけれど、時計を見ると、まだ5時。
カーテン越しに前の道を眺めると、スーパーカブに乗ったおっちゃんが、エンジンをブーブーふかして走り回っている。
「あかん、もう寝られない!」
「朝食も7時からだったし..........」
仕方なしに、テレビのCNNニュースでもボーッと見ながら、地球の歩き方の地図で今日の観光ルートの下調べをするのだった。

シュエダゴォンパゴダ

ゲストハウスに戻ると、既に時計は11時を過ぎていた。
今夜はそこそこ早く寝て、明日は朝一番からヤンゴン市内観光をしよう!
さあ早めにシャワーでも浴びて..........
トイレ兼シャワー室に入って早速準備。
壁にかなり年代物の湯沸かし器が取り付けてあって、そこからホースが延びていてシャワーが出るようになっている。
これがまた、湯の出が悪い!
チョロチョロとしか出ない。
まあ10ドルだからこんなもんか..........
それと、もう一つおまけがあった。
なんか妙に天井の方から視線を感じるなあと思って見上げたら、ヤモリが10匹ほど張り付いていた。
まあこれも10ドルだからこんなもんか..........
東南アジアの旅ではこの程度は想定の範囲内だ!
明日は早起きして、あの有名なシュエダゴォンパゴダに行こう!

シュエダゴォンパゴダ

両替のレートが良いのか悪いのか、よくわからないまま、私は日本円で一万円札を小さな窓口に突っ込んだ。
本来だったら何軒かのマネーチェンジャーを回って、レートの比較をして、最も良い店で両替するのが「旅ルール」なのだが、今回だけはイスラム食堂のお兄さんに支払いを待ってもらっているので、仕方がない。
それにしても、いろんな種類のお金が流通している国だ。
出されたレシートにサインして、チャットの札束を掴んで食堂に戻った。
私は初めて見る紙幣を机に並べて、マジマジと珍しそうにしていると、食堂のお兄さんやイスラム教徒のお客たちもニコニコしながら私の方を見ている。
一枚一枚紙幣に書かれた数字を見ながら、紙幣をよりわけて「はい、420チャットね!」
またチャンスがあったら、いつかまた来てみたい食堂だった。

チキンカレーは実にうまかった。
ナンは、日本のインド料理屋で出てくるようなタイプの、柔らかいものではなく、もっと分厚く硬いものだったので、いちいちちぎるのに相当の力が必要だったのと、とにかく喉が渇いた。
しかし、充実した夕食だった。
そして、いざ支払いの時点になって、ハットした。
一般に流通している通貨「チャット」を持っていなかったのだ!
「しまった!」
「どうしよー」
「まあ、なんとでもなるかー」
とにかく先ほどの店員のお兄さんを呼んで、チェックを頼むと、「420チャット」なんだと。
恐る恐る米ドルで10ドル札を見せると、「前のマネーチェンジャーで両替してこい」と、その方向を指差す。
FECやドルやチャットやらで、完全に混乱して頭がボケてしまっていた。
それで、早速お兄さんが指差したところにあるマネーチェンジャーに行くことになるのだ。

結局、このイスラム食堂には英語のメニューは置かれていなかったのだが、そのかわり、カウンターに既に調理されたおかずが、いくつか大皿に盛られて並べてあり、目で見て注文できるようになっていた。
ちょうど居酒屋のような感じだろうか?
何種類かのカレーや、ケバブ、マサラ、タンドリーチキンらしきものがある。
私は、直感的にチキンカレーらしきものと、このタンドリーチキンらしきものを店員に指差していた。
そして今度は店員の方が、熱々に熱せられた石の窯の方を指差している。
「??」
今度は客が食べているナンを指差した。
なるほど、ナンはどうするか? と、聞いているのだ。
すぐに、私は人差し指を上に立てて、一人前注文した。
基本的に私は一人旅なので、一度出発すると人との会話が欠乏気味になる。
この何でもないやり取りが、実に新鮮に心にしみる。
たまに、同じ街に長居して、同じ食堂に通うようなことがあるとしたら、それは料理が美味しいというよりは、もしかしたら店員との楽しい会話を求めてという方が多いかもしれない。