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「深夜特急」の世界に憧れて (回想録 XX年)
鍵をフロントに返却して、私は再び前の暗い道に出た。
そして大通り(マハバンドゥーラ通り)まで来ると、考えることなく自然と先ほど来たのと反対の方向に歩き出していた。
時間はもう夜の9時だというのに、この通りは人でごった返している。
大人に混じって子どももたくさん走り回っている。
親はどうしたのだろうか?
商店のこうこうとした灯りに照らされ、子どもたちは走り回っている。
みんな、屈託のない笑顔だ。
半面、商店で働く大人たちは、どこか愁いを帯びたような目で、淡々と働いている。
背中に赤子をおぶった老婆。
道端に座り込んで、煙草をふかし通りをただ呆然と見つめる老人。
大八車いっぱいに積み上げた藁を引く牛。
両手の無い物乞い。..........
この混沌とした喧騒がここにはある。
しかし、そのすべてがお互いに関係しあい、意味の無いものなど全くない。
よく観察していると、何らかの理由で今そこにそうやっているのがよくわかる。
たまたま通りかかった私が外国人だと分かったのか、先ほどの走り回っていた子供たちが一変して私の回りを取り囲み、すぐそばの土産物屋らしきところに連れて行こうとする。
「こんな時間まで..........」
たぶん、ここは観光客がよく通るのだろう。
「NO、NO..........」
「Later, later 」
「Dinner ,first 」
その場も、柔らかくおことわりして先を急ぐ。

マハバンドゥーラ通り
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部屋に入り、とりあえず一通り室内をチェックし、窓からの夜景を見た。
夜景と言っても、100万ドルの夜景とは正反対の暗い夜景だ。
この部屋の代金10ドルと同じくらい、ところどころわずかな光しかない。
外があまりにも暗いので、窓ガラスに自分の顔が反射してよく見えない。
「腹が減った..........」
散歩がてら晩飯でも食べに行くか。
スーレーパゴダからここに来る途中、2、3軒、目星はつけてあったので、とりあえず出てみよう!
特に何が食べたいという感じではなかったが、強いていうとインド料理のようなものが食べたい。
元来、私は基本的にインド料理が好きなのだが、普段、日本では何故だか、近所のインド料理屋に足が向かない。
別に、そのインド料理屋が不味いとかそういう事ではないのだけれど、日本のインド料理屋のメニューが高い!
たいしてたくさん食べていないのに、結構な値段になる。
昔、インドやその近辺の国を旅行した時に食べたインド料理屋の代金を覚えているものだから、アホらしくなってしまい、日本ではどうしても足が向かないのだ。
タンドリーチキンFULLなど、日本のインド料理屋で注文しようものなら数千円してしまう。
でも、こっちの方で同じものを頼んだら完全にゼロが一個違う。
100円も出せば、腹がいっぱいになるのだ。

シュエダゴォンパゴダ

正式にチェックインの手続きをするため、一度フロントへと戻った。
「パスポート!」とおじさん。
そして、宿帳への記入。
インクの出にくいボールペンで書きながら、おじさんの方を見て、ダメ元で「8ドルではダメ?」と聞いてみると、首を横に振り「NO!」
まあ、それはそうだわなと納得。
深夜特急の沢木さんなら、もっとシビアなのだろうが、私にはそんな勇気もない。
そしたらせめて、「FECはダメ?」と聞いてみるが、案の定「NO!、US$only」
あきらめて、素直に10ドルをおじさんに渡すと、にっこりと藁半紙で出来た領収書をくれた。
やれやれ。
今日の大きな行事がこれで終わった。
パスポートと貴重品を預けるため、セーフティーボックスを頼み、長細い金属製の箱に入れる。
そして、代わりに小さな鍵をもらい、落とさないようにビニール袋に入れ、ジーンズのポケットにしまい、そしてスリに盗られないように安全ピンで入口の部分を3針ほど縫った。
これで、フリーハンドで人混みを歩いても大丈夫だ。
相変わらず、おじさんはニコニコしながらこの作業を見ている。
そして再び部屋へ戻り、先ほどの通りの夜景を見ながら、一息ついたのであった。

部屋を見せてくれと頼むと、快く応じてくれたおじさんは、フロント横の壁に取り付けてある、木でできた部屋の番号がふってある棚からキーのついたプラスチック製の大きな棒を取り出した。
その棒には「211」と彫ってあった。
角が欠けて丸まって、年数を感じる。
この街を見ていて「ほっと」する理由がわかるような気がする。
物を大切に、トコトン最後まで使っているのがわかる。
人間の心といっしょで、物も丸みが出るまで使っている..........
部屋はどうやら二階のようだ。
そのあと、おじさんに連れられ上がったのだが、もちろん、このクラスのゲストハウスにはエレベーターなど無いので、奥の薄暗い階段で。
一段一段、踏みしめて階段を上がるたびに、ギシギシと音が鳴る。
木で出来た階段で、油引きがしてある。
独特な油引きの匂い。
どこか懐かしい。
私が小学校の時に通っていた木造校舎の油引きの匂いと同じだった。
「211」は、階段を上がってすぐの部屋だった。
おじさんは、鍵を開け、部屋の灯りをつけ、「どうする?」という感じでこっちを見た。
私は、すぐさまトイレとシャワー、それとエアコンをチェックし、窓のカーテンを開けて見た。
遠くにメイン通りに並ぶ店の賑やかな灯りが見えた。
すぐに気に入った。
「I take」
おじさんの、ニコッとした顔が今でも思い出される。

211号室 (ダディーズホームホテル)

たしかこのあたりのはずでは?
暗くてよく見えない。
ヤンゴンの街は、一筋入ると真っ暗だ。
それも半端なく暗い。
街頭というものがほとんどなく、店からこぼれる光だけなので、ちょっと筋を入るとはっきり言って怖い!
アイスクリーム屋から50メートルほど進んだだろうか?
看板はよく見えないが、ゲストハウスらしきもの発見。
木製のドアを開けて中に入ると、どうやら突き当たりがフロントになっているらしい。
荷物をソファーに置き、とりあえずカウンターへ。
誰もいない!
「EXCUSE ME!」
出てこない!
仕方なくソファーに座っていると、しばらくして、人の良さそうなおじさんが横の階段から急いで降りてきた。
もしかして彼がダディーズホームホテルの「ダディー」だろうか?
「Do you have a room?」と聞くと、「Yes,yes, ye~s」と三度繰り返し、
何泊か?と聞いてくる。
「とりあえず一泊。」
「10ドル!」
とんとん拍子にやり取りが進む。
そして、「どんな部屋か見せてくれる?」
昔、これをしなかったために、一晩中苦しい思いをしたことがあったので、契約前の確認とでも言おうか、これもまた絶対に省略してはいけない「旅ルール」なのだ。

さて、荷物を担ぎ、右手に「地球の歩き方」の地図のページを開けて、歩きだす。
今日の宿さがしの第一希望は「ダディーズホームホテル」。
今、立っている「スーレーパゴダ」から、マハバンドゥーラ通りを正確に西の方角に小さい交差点9つ目左折。
地図上の細かい通りを指で数える。
上手く行けば、9つ目の角に、「ミミレー」という名前のアイスクリーム屋があるはずだ。
まあ、とにかく歩きだす。
通りにはいろんな店があり、買い物客でごった返している。
金物屋、八百屋、肉屋、食堂..........
細い通りを2つ、3つ、4つ..........
間違わないように数えながら、しかも、うまそうな食堂があれば、後で来れるように記憶にインプットしながら。
そして、9つ目。
「ミミレー」発見。
名前はどこにも書いてないが、確かにアイスクリーム屋だ。
店の前にある階段を2段ほど上がれば、テーブルが並べてあり、奥にアイスクリームのケースとレジが見えている。
ここを曲がれば、今日のお宿があるはずだ。
しかし、ここから先は暗闇で足元が全く見えない。
一歩一歩、目を凝らしながら先を急いだ。
もう、時間は八時半を過ぎていた。
とにかく、今夜の宿を確保しよう。

車を降りると、自然に深呼吸したくなった。
大きく息を吸い、上方を見上げると、目の前にそびえ立つ「スーレーパゴダ」の巨塔が、圧倒的なスケールで目に入ってきた。
圧巻である!
下からライトアップされ、50メートルはあろうかと思われる黄金色の搭は、見る者すべての心を惹きつけていた。
カメラを持った欧米人や、信心深い仏教徒たちが、このサークル状の形をした寺院を取り囲んで、さかんにシャッターを切っている。
さて、今晩の宿だ。
店の前の灯りを頼りに、「地球の歩き方」の地図を見て、本をクルクル回して、現在地から目的地の方角に照準を合わせる。
そんなことをしている間も、荷物からは目を離せない。
治安が良いのか悪いのか?よくわからない。
なにせ、初めての国だ。
周囲の人々の視線に注意を払う。

しばらくすると、前方にライトアップされひときわ黄金色に輝く「スーレーパゴダ」が見えてきた。
道中、ほとんど会話することもなかった運転手だが、おもむろに口を開き、どうやらどこに車を止めたいか聞いてきた。
私は、そのあたりならどこでも良かったのだが、タクシーを降りてから地図を見たかったので、スーレーパゴダのそばにある「MTT」ミャンマートラベルツアーズのオフィスの方を指差して、その前に停車するように伝えた。
そこならば、私が今夜の宿に目星をつけているゲストハウスの場所も聞けるだろう。
タクシーは結果的に、快適な道中だった。
最後も、チップを要求されることもなく、運転手は下車する私の方を見て少し微笑みながら「See you」と言ってくれた。
すごく気持ちの良い対応だった。
ほんのささやかなことだけれども、直感的に「いい国だ」と思った。
「いい人々だ」とも思った。
ミャンマーというと、最初から情報が少ないこともあり、身構えていたけれど、なんとなく、ゆったりとしたスローな、いい旅ができそうな予感がするのであった。

スーレーパゴダ

空港を出て、順調にタクシーは走っている。
進行方向に対してちょうどはるか右側の山に、もうとっくに沈んだ夕日のほのかなオレンジ色が残っていた。
ヤンゴン国際空港から、目的地の市内中心部は、地図によると真南の方向に約10キロだ。
だから、乗っているタクシーから見て、常に夕日が沈む方向が右側に見えていれば問題ないのだが、もし違う方向の場合は、直ちに車を止めさせて、他の車を探さなければならない。
それも、車の捕まらないヘンピなところに連れて行かれる前に。
個人旅行の場合、有事の際に備えての危機管理だけは、常に怠ることはできない。
結構、緊張の連続だが、楽しいことをやっているのであまり疲れることはないのだけれど..........
途中、インヤー湖の畔を通り、ヤンゴン大学前を過ぎた。
あちこちに生えているヤシの木が、大陸の国特有のネオンの色に照らされて、赤っぽく見える。
日本の道路にはない色だ。
これもまた不思議に郷愁を誘う。
だいぶ、中心部に近づいてきたようだ。
車の数も増え、通りを行き交う人々も多くなってきた。
周りの景色に、頭が徐々に慣れる。
最初、不安からガチガチに力が入っていた身体に多少柔らかさが出てくる。
ノロノロ運転になるにつれ、左右あちこちから物売りが出てきて、新聞だのピーナッツだの、運転手にアピールしている。
ミャンマー国鉄の線路を超えた。
目的地のスーレーパゴダまであとわずかだ。

カウンターの女性から行き先を聞いたタクシーの運転手は、トランクを開けて私のリュックを掴んで入れようとした。
しかし、私は「自分なりの旅ルール」に従い、低調にこれを断り車内の後部座席に、私の体と一緒にこれを持ち込んだ。
要は、客が目的地に着いて最後にドアを開けて外に出た時、悪質ドライバーの場合、トランクに荷物を載せたまま急発進することが多いからだ。
私はいつも例外なく、日本以外の国ならこれを実践するように心がけている。
最初は不思議そうな顔をしていた運転手も、行き先をもう一度私に確認して、エンジンをふかしはじめた。
懐かしい車だった。
トヨタの「カローラ」の1975年くらいのモデルだろうか?。
一体、何年乗っているのか?
窓も当然のことながらパワーウィンドウなるものはなく、手動式でしかも取っ手は、とうになくなっていた。
座席のレザーはあちこちひび割れている。
しかし、よく清掃されていて不快感はない。
車前方には、がっしりとしたフェンダーミラーがついており、角張ったボディーが昭和の時代を思い出させる。
走りはじめたタクシーの車内から、街並みを見渡すと、こちらもまた日本には無い風景のはずなのに、妙に懐かしい。
あちこちに、ミャンマー風「昭和」らしさが残っている。
もう、辺りはどっぷりと日は暮れて、道端の屋台の灯りが、郷愁を誘う。

ドル紙幣で3ドル支払った私は、クーポンを受け取り、先ほどの女性に言われるがままに後をついて行った。
カウンターで、お金を支払ったのだから、一般タクシーではなく別にプライベートカーでも用意してあるのだろうか?
一体どこに行くのだろう?
まあ、とにかくついて行こう。
しかし、そのあと、愕然とさせられることになるのである。
なんと、空港前の一般乗客用のタクシー乗り場に連れて来られたではないか!
そして、女性は一番先頭で暇そうに客待ちをしていたタクシーの運転手に、何かヒソヒソ話したと思うと、サッと、いくらかの紙幣を手渡していた。
お金を渡して行き先を言ったのである。
要は、カウンターは,手数料を取ってタクシー乗り場まで案内しただけなのである。
知らない土地に来ると、こんなものなのだ。
まあ、恐らく半分くらい運転手に渡したのだろう。
でも、自分自身でタクシーと交渉したら、もっと高い料金を請求されるかもしれないし、一般的に、空港のタクシーというものは,どの国でも高いものだ。
少なくとも、クーポン方式の場合、遠回りされる心配はないし、初めての国でしかも初日の場合は,これが無難だ。

200チャット

到着フロアには、出迎えの人々や、外国人旅行者目当ての客引きたちで、ごった返していた。
さあ、どうするか?
ここで、いつも本能的に参考にしているのが、白人たちの動きだ。
何故かいつも、白人たちが相手にしているものはまともな事が多いように思う。
単なる偶然なのか?
それとも「ロンリープラネット」の記事が良いからなのか?
本当に、彼らはよく研究していて、しかも鋭い。
目が利いている。
割の合わないところには、彼らは絶対に近づかない。
それと、たとえそれが1円の誤差のような問題であったとしても、曖昧にするようなことをしない。
納得いくまで時間をかけて口論しているのをあちこちの国でよく見かけた。
とにかく、ここも、白人の三人連れが立ち寄って何か話しているカウンターに、私も近づいてみた。
後ろから、さり気なく観察していると、どうやら明日の国内線のチケットについて、尋ねているようだ。
応対している、まだあどけなさの残る「タナカ」を頬に塗った女性も、きちんと英語でやり取りしている。
まあ、ここで良かろう!ちょっと、聞いてみるとするか。
とにかく、重いリュックを足元に置き、一息つく。
2、3分して、先ほどの三人組が立ち去った後、「タナカ」を塗った女性は、今度は当然、私に何か売り込んできた。
「TAXI」「HOTEL」..........
私の場合は、今日の宿は、「地球の歩き方」で、それなりに予習して、ある程度の目星はつけてあったので、とりあえず街までのタクシーだ。
「空港バスは無いか?」と尋ねても、「NO!」
素っ気ない返事。
仕方が無いので、街までのタクシー代を聞くと、「3US$」
早く消化してしまいたい「FEC」は、駄目だそうな。
「タナカ」の女性は、先ほどの群集の方を指差して、どうしても「FEC」が使いたければ、あの連中(白タク)に相談すると良いと言う。
どうやら、彼らは「闇両替」のような事もしているらしい。
でも、そういう類のものは、間違いなく損をするようにできているので、今回は近づかないようにしよう。

「タナカ」化粧と日焼け止めを兼ね備える

強制両替所も過ぎ、だだっ広いフロアを歩くと、出口の所に税関がある。
ここにも、あちこちに例の軍服を着、機関銃を持った数人が目を光らせている。
そして、機内で書いた申告書を係員のおじさんに渡せばそれで終わり。
これで、ようやく正式に入国したことになるのだ。
でも、旅の本当の醍醐味は、ここからである。
発展途上国、いや最近は新興国というのか。
こういう国は、例外なく共通しているのだのだが、空港の到着フロアのドアが空いた途端、外国人旅行者と見るや否や、タクシーだの、客引きだの、ぼったくりだの、うさんくさい連中が群がってくる。
いつもの事で分かってはいるものの、独特の恐怖がある。
「この国はどうなんだろうか?」..........
やはり、ここもそうだった。
到着フロアに出た途端、言葉には言い表しようの無い威圧感を感じた。
恐る恐る周りを見渡すと、何百人という数の人がこっちを見て、何か言っている。
いくら旅慣れているとは言え、こちらは一人だ。
心臓がドクドク高鳴る。
落ち着いて。落ち着いて。
冷静に偵察。
とにかく、群がってくるのは振り払って、群集の輪をとにかく脱出すると、今度は、まだ今までのよりは、かなりまともそうなカウンターらしきものがあちらこちらにあり、手招きして「こっちこっち」とやっている。
よく見ると、どのカウンターにも「TAXI」とか「HOTEL」と書かれている。
とにかく、情報収集したいのだが、果たしてどのカウンターがまともなのか..........?

入国審査を通過すると、不思議なことにこの国では税関の前に、ミャンマーのお金に両替する為の銀行がある。
でも、銀行とは名ばかりで、木製の宝くじ売り場を古めかしくした感じだ。
そして、外国人旅行者用のビザを持って入国したものは、ここで強制的にUS300$をミャンマーの300「FEC」に両替させられる。
この「FEC」は、実は外貨兌換券である。
だから、一般のミャンマー国民が使っている訳ではなく、一種の金券なのだ。
そして、300FECに両替したレシートが無ければ、次の税関を通過できない。
ビザを取得する時に、一応、書類にて説明はあるのだのだが、これを知らずここまでやってきたのだろうか、どこかの国の白人が、両替所の前で係員に叫んでいる。
もしかして、米ドルを持って来なかったのだろうか?
そして、これだけではない!
この「FEC」は外貨に再両替できないのだ!
と言うことは、外国人旅行者は、出国するまでに必ずUS300$相当のお金を使い切らなければならないという事になる。
US300$というと、この国では大金だ!
しかも、このFECは、使える場所が限定されている。
ホテル代、鉄道や船などのチケット代、航空券、観光地の入場料などに限定されている。
だから、期間の短い旅行者などは、国内線に乗ったり、高級ホテルに泊まったりするしかない。
おまけにそれだけではない。
普通の国民は「チャット」という単位の通貨を使っているのだ。
街で食事をしたり、買い物をしたり、バスに乗ったり..........
これらはみんな「チャット」だ。
だから、先ほどの「FEC」とは別に、この「チャット」も手に入れる必要がある。
「FEC」は、そのあたりの街では使えない。
そして、米ドルも堂々と流通している。
したがって、外国人旅行者は、ミャンマー国内にいる間、この「FEC」「チャット」「米ドル」の3種類のお金を上手く使いこなさなければならないのである。

10チャット

見渡すと、このイミグレーションは,どこか古い山間部にある駅舎を思い起こさせる。
すべて木製で、どこか懐かしささえ感じさせる。
しかし、夕刻という事もあって、どことなく薄暗い。
列の前の方を観察していると、みんな様々な色のパスポートを持っている。
一体、どこの国なんだろうか?
ほぼ半分くらいは,ヨーロッパ系の白人で、残りはインド系、わずかに中華系らしき人々だ。
みんな、思い思いに雑談したり、立ったまま何か書類に書き込んでいる。
そして、やがて自分の順番が回ってくると、風呂屋の番台のようなカウンターに、パスポートと書類をちょんと乗せる。
そうすると、番台の中の入国審査官は上目使いにチラッとこちらの顔を確認している。
それでまた、デスクワークの方に目をやり、何か忙しそうに書類に書き込んでいる。
一体、何をこんなに審査することがあるのだろうか?
他の国のイミグレーションなど、一般的には30秒くらいで終わるのが常なのだが。
そうこうしているうちに、「ガシャッ!」
問題なく通過!
そして、次に進むのだ。

Shwedagon Paya

タラップを降りると、そこは広々としたコンクリートでできた駐機場で、360度ほとんど山も見当たらない平野であることがわかる。
もうだいぶ傾いた夕日に照らされ、あちこちニョキニョキと浮かぶ入道雲の底辺のラインが、イヤに低く見える。
なぜか、目を細めて太陽の方向を見る。
暑さを確認したかったのか、日本の太陽とは違うと実感したかったからか..........
他の客も、はしゃいでカメラなど撮っている者もいる。
やがて地上職員に促され、空港の建物の方へと乗客らは数珠繋ぎに、しかもゾロゾロ歩いてゆく。
飛行機の中は、南国と言えども意外に冷えるので、私はいつも薄めのジャンパーを着ているのだけれども、このあたりから徐々に吹き出してくる汗に、たまらずそれを脱いで半袖状態になった。
建物の入口を入ると、もうそこはすぐイミグレーションになっていた。
各所に、肩から機関銃をさげた鋭い目つきをした軍人が立っていて、何か物々しい雰囲気がある。
この国は、軍事政権で特に有名であるが、やはりそのことが関係しているのだろうか?
入国審査のブースは4つ開けられており、適当にみんな並んでいる。
私も、適当に一番右端の列に並んだのだが、これがまた前になかなか進まない。
じっと観察していると、一人5分くらいかかっている。
どの列も10人くらい並んでいるから、通過するのに1時間くらいかかりそうだ..........

チャイティーヨーパゴダ

機長のアナウンスが流れ、あと5分のところまで来た。
ヤンゴン国際空港周辺の気温は摂氏33度、天気は晴れとの事。
しばらくして窓から、ヤンゴン国際空港の滑走路の端が見え、一瞬にしてドン!!~と着陸した。
周りにある木々や建物の移りゆくスピードが徐々にスローになり、やがて自動車並みになった後は右折し、どうやら遙か前方に見える建物に向かってゆくらしい。
ターミナルビルディングというよりは、近所にある小学校という感じだ。
結局、ここもターミナルの建物に接近することはなく、100メートルほど離れた駐機場におもむろに停止した。
何か違う!
何か雰囲気が違う!
何かよくわからないが空気が違う!
と、言ってもまだ機内に居るわけだから、空気は変わっていないのだが、乗客の様子が全然違う。
成田やソウルや香港のようなメジャーな空港なら、機体が停止するや否や、乗客らは立ち上がり我先にと出口目指して詰め寄る。
でも、ここでは全くそんなせわしない光景は見られない。
みんなのんびりしている。
ヨーロッパの観光客もニコニコしている。
全てがゆったりしている。
あ~、旅に来たんだなあ~と実感する。
ミャンマー人CAに促され、ようやく立ち上がった乗客らは、思い思いに荷物を担ぎ、出口へと向かってゆく。
そして、開けられたドアから、心地よい温風が入ってきて、出口でお見送りするCAのスカーフを揺らすのであった。

バガン遺跡

バンコクからヤンゴンまでの空の旅は、一瞬にして終わる。
フライト時間にして、45分。
離陸したかと思えばもう降下態勢に入る。
だから通常のフライトのように、高度1万2000フィートまでは上昇しない。
バンコクから北西方向に飛ぶ間に、国境を兼ね備えた高い山脈がそびえている。
フライトの高度は低いのに、途中、高い山脈がある訳だから、窓の外の景色はいつ見ても、手が届きそうなところに山があり、そしていつも霧が立ちこめている。
CAたちは、この短い時間の間に、入国審査の書類、食事、飲み物を配り、そして回収してゆく。
気がつけばもう、ミャンマー側に入っていて、前方にエーヤワディー川のデルタ地帯が見え始めてきた。(我々の世代は、イラワジ川と言った方が馴染みがある)
初めての国に行く時、いつもそうであるように、いよいよ心地よい緊張感がみなぎってくる。
さあ、気を引き締めて行こう。
楽しみと不安が交錯した、あの独特な高揚感に満ちてくる、到着前のひと時である。

エーヤワディー川

機内への搭乗が始まり、67Aの座席に腰を落ち着ける。
やはり、周りは白人が圧倒的に支配している。
隣の席も、どうやらドイツ人らしい老夫婦が座っている。
しばらくすると、CAたちが忙しそうに行き来し始めた。
ここから先は、更に西に向かうから、当然と言えば当然なのだが、CAたちのなかに数人、インド人系のかなり黒褐色の肌色をした人々が含まれていた。
やはり、ミャンマーはインドに近いからなのだろうか?
そうこうしているうちに、今度はヤンゴン空港で必要な出入国カードが配られ始めた。
これも世界共通お決まりのものだが、そこにパスポートナンバーやサインなど、あらかじめ機内で記入しておく。
そして、入国審査場でパスポートといっしょに提出するのだ。
それと他に、ミャンマーは入国するのにビザが必要だ。
「個人旅行者用FITビザ」で、1ヶ月有効。
それと、申請する時に出した「Report of Arrival 」の書類もイミグレーションに出さなければならない。
私の場合、あらかじめ東京のミャンマー大使館に郵便で手続きしておいたから問題ないが、まだビザを持っていない人は、ヤンゴン空港でアライバルビザを取得しなければならないし、費用も割高である。

16番ゲートの前までやってくる。
「TG305 YANGON」の表示。
まだ、まだここはタイなのに、もうミャンマーの気配が微妙に漂ってくる。
下に下る階段があり、そこが待合室になっているようだ。
階段を一番下まで降りると、テーブルにタイ航空の制服を着た職員が二人座っていて、ボーディングパスの切り離しをしていた。
このゲートの場合は、他の空港のそれとは反対になっているようだ。
普通は、機内に入る直前にボーディングパスをチェックするのだが,ここは、先にそれを済ませている。
まあ、その方が時間の節約にはなるのだが..........
チェックを済ませて椅子にリュックをドンと置き待合室を見渡すと、今度はやたらと白人が目に付く。
ヨーロッパからだろうか?
確証はないが、目の色や髪の毛の雰囲気からそう思った。
不思議だ。
日本からは、ミャンマーというとまだまだ観光ではマイナーなイメージがあるが、どうやらヨーロッパでは違うようだ。
いかにも観光旅行という雰囲気を醸し出している。
その場に腰を落ち着けて数分が経つと、あちこちからイタリア語とドイツ語が聞こえだした。
いつも感じることだが、私の場合、白人たちが周りをうろうろしていると、妙にホットするというか安心する。
昔、旅行を始めた頃から気付いたことだが、「白人たちは何でもよく知っている」ということだ。
何でもよく研究している。
白人の旅行者がたくさんいるところは、不思議と安全なところだったり、観光のポイントだったりする。
反対に、自分が観光してみようと訪れたところで、妙に白人たちが一人も見当たらないような時は要注意だ!
そういうところに限って、ぼったくりや強盗が待ち伏せていることが多いように思う。
情報を全く持っていない観光地など、白人たちの後ろをただついて行けば、大概はいいことがある。
という訳で、このフライトの目的地ミャンマーも良さそうだ!
さい先よいスタートだ!

Shwedagon Paya (ヤンゴン市街の丘の上に建っている)

このドンムアン空港は、私の最もお気に入りの空港だ。(現在は国内線専用)
Departureのフロアーには何でもある!
タイマッサージ、床屋、美容院、トランジットホテル、イスラム教徒の為のpray room、日本の寿司屋、ゲームセンター......
しかし、どれもやたら値段が高いので、私の場合は、いつもお気に入りのカフェテリアで、コーヒーを一杯注文し、「星新一」の短編集を読むのがお決まりになっている。
今日は、トランジットが1時間半だから、あっという間だが、これが5時間6時間となると、話しは別だ。
以前、6時間ほどあった時、あまりの暇さに空港内をぶらついていて、もう全て見尽くしたとき、イミグレーションの手前でおばさんが小さなテーブルを出し、何か案内所のようなことをしているのを見つけたことがあった。
よく見ると、「トランジットツアー」
英語と、恐らくはそうであろう全く理解不能なタイ語で書かれていた。
ちょっと興味が湧いてきたので、パンフレットをもらって詳しく読むと、「バンコク市内観光3hour,30US」となっていて、その当時、参加した事があった。
イミグレーションの通過は優先、専用のワゴン車で寺院を回ってくれ、ガイドも最初から最後までついている。
他にも、アユタヤや、カンチャナブリー方面のものや、1泊2日のものまであった。
こんなことをしていると、あっという間に時間は過ぎてゆく。
さて、16番ゲートに向かうとしよう!

ターミナルのバス専用ゲートに頭から斜めにバスは止まった。
バスを降りた乗客達は、にわかに駆け足になりエスカレーターを経て、イミグレーションに急ぐ。
ここバンコクのイミグレーションはいつも混雑している。
下手をすれば、30分待ちなど当たり前だ。
流石に、リピーターのお客たちは、少しでも早く通過しようと走る。
でも、私の場合は、今日の最終目的地が、ミャンマーのヤンゴンだから、トランジットの矢印に従うことになる。
次の便は、TG305便、17:50発ヤンゴン行き。
約1時間ほどある。
KIXで、この便のボーディングパスも既に受け取っていて、急ぐ必要はない。
席もすでに決まっている。
67A。
かなり後ろの方だが、窓側だ。
しかし、KIXを出る時間が早かったせいで、ゲートの番号が記入されていなかった。
えーっと、テレビはどこだろうか?
早速、あちこちにある出発時刻を知らせるテレビで確認。
ゲートは、16。
なんと、DELAYの文字。
えーっ!
変更後の時刻は、18:20。
30分の遅れ。
まあ、えーか。
しかし、これでもタイ航空は比較的出発時刻は正確な方だ。
結局1時間半あるので、空港を見て回ることにしたのだった。

 

タラップの最上段に第一歩を踏み出した。
いつも自然と深呼吸してしまう。
やっと到着したという気分からか、あるいは外の新鮮な空気が吸いたいからか.....
その後、私はいつも一段一段踏みしめながら、タラップの階段をしっかり、しかも、がに股で降りる。
それが、初めての国だったり、2度と来れないような遠い国ならなおさらだ。
大昔、私が初めての海外旅行に選んだ中国。(大学生でお金が無かったからこれしか行けなかったのだが)
鑑真号(神戸港-上海港間の船)から上海に上陸する時の第一歩もそうだった。
生まれて初めての海外。
しかも中国。
そして、それも船!
ユーラシア大陸第一歩!
今から考えたら大げさに聞こえるが、20才の私にとっては、それはそれは大きな第一歩だった。
上海港の桟橋に横付けされた船から降りる時のあのドキドキ感。
あの当時の私にとっては、アポロからの月面への第一歩と同じことだった。
 
次は、タラップの前で待機するバスに乗り込み、ターミナルビルディングへ。
このバスは、建物の縁に沿ってクネクネと走るのでゲートまでは相当走る。
そして1F、1~4番ゲート、バス専用ゲートへと至るのである。

もうかなり降下してきた。
道路を走る車が、かなり小さいが見えてきた。
高度500メートルくらいだろうか?
タイの表玄関は、今はもう国際線はスワンナブーム空港になってしまったが、この旅で利用したのはまだあの「ドンムアン空港」だった。
高度を下げたTG621便は一度、バンコク市内の真上を通過し、チャオプラヤー川を過ぎたあたりから右旋回し、市内北10キロにあるドンムアン空港に着陸した。
この空港、滑走路が2本、離陸用と着陸用なのだが、実は何とこの2本の滑走路の間のスペースがゴルフ場になっているのだ!
さすが!タイ!
KIXも見習ってはどうだろうか?
だから、離陸する時などは、機内の乗客とプレーする客と、しばし目が合って手を振り合う光景を何度見たことか。
今は、もうドメスティック専用になってしまったが、結構大きな空港で、いつも航空機がうごめいていた。
しかし、アジアNO1のハブ空港としては、これでも小さかったのだろう......
滑走路から誘導路に入り、空港ターミナルに向かうと思いきや、TG機が何機も並ぶ駐機場に停止した。
「今日はバスか~。」
あの平べったいバスに乗せられて、ターミナルビルディングに移動するのだ。
飛行機のドアが開けられ、乗客が次々階段を降りてゆく。
私も、前の乗客に続いてドアから出て階段を降り始めたのだが、この熱帯特有のム~とくる突然の熱気で、一瞬にして汗が噴き出し始めたのだった。

こうやって窓からどこまでも続く箱庭のような風景を見ていると、特に私の場合そうなのだが、目は地上の細かな景色にいっているけれども、心は何故かいつももっと遠いところにいっている事が多い。
例えば、いつも考えないような政治の事であったり、将来の事であったり..........
それで、最も多いのが、遠い過去の事だったりする。
飛行機から地上に散らばる何千、何万もの家々を見ていると、この数だけの人生、生き方、哲学、ドラマがあるのだと思う。
日々の生活に追われていると考えもしないような事が、この景色を眺めていると思い浮かんでくる。
今、窓から見えるタイ・カンボジア国境付近の山々の風景を眺めていると、ふと以前、もうそれも10年ほど前の記憶が浮かんできた。
京都の河原町に、その当時「駸々堂」という書店があった。
古き良き時代である。
私も本当にこの書店にはお世話になった。
子供の頃から、ここにさえ来ればどんな本でも揃った。
目をつぶれば、今でも入ってすぐの階段や見慣れた書棚、レジの位置、奥にあったレコード屋........
ここで、あの沢木耕太郎氏の本「一号線を北上せよ」の出版記念のサイン会も行われた。


もちろん、私も本を買い早くから何時間も並んで順番を待った。
その頃、私は「深夜特急」の影響を受け、旅にどっぷりと漬かっていて、何かこの本のとおりという訳でもないが、沢木氏が通ったルートをたどるような事に情熱を燃やしていた。
そのサイン会があった頃、ちょうどイタリアまで「到達」していた私は、その事を沢木氏にストレートに話すと、時間を割いて
会話してくれた。
最後には、沢木氏が通った道を再び巡る旅、この「自分流の深夜特急」が最後まで到達したら、一度訪ねてきてくれとも言ってもらえた。
しかし、今になっても沢木氏の真似事のような事はできても、なかなかあの領域には自分自身達することなどできないこともあり、フランスから先のスペイン、ポルトガルは手付かずのままになっている。
いつか、自分流の旅もゴールが見えた時、ポルトガルまでそしてロンドンまで行き、それを報告しよう!
ふと我にかえり窓の景色を凝視すると、もうタイの平野部、ナコーン・ラーチャシーマ付近まできていた。

ベトナムを一瞬で通過したTG621便は、高度を徐々に下げながらカンボジア中部シェムリアプ付近を通過している。
この辺りも、意外に乾燥地帯で木々が点々とサバンナのように生えている。
ちょうどアフリカの草原地帯のようだ。
もうちょっと高度が低ければ、アンコールワットの遺跡群が見えるかもしれない。
以前、タイからバンコクエアウェイズのプロペラ機でシェムリアプ付近を飛んだ時の感激は忘れられないものだった。
日本からこんなに近い所で、まるでアフリカの空を飛んでいるような気分にさせてくれるなんて!

機内食の時間も終わり窓に目をやると、はるか前方にかすかに陸地が見えてきた。
一直線に延々と続く浜に続いて、広大な密林が広がっている。
ベトナムだ。
1万メートル上空からでもはっきり見える浜。
航空路を地図上に当てはめてみると、ニャチャンか、ファンティエットの辺りだ。
何年か前に、一度滞在したことがあるが、実はこの辺り砂漠があるのだ!
ファンランという小さな街があって、この辺り一帯は半砂漠の大地が広がっていて、サボテンまで生えている。
ドラマ「恋するベトナム」(西田尚美主演)でもロケ地に使われたことがある。
この砂漠の中には、昔滅びたチャンパ王国の遺跡があちこちに点在していて、ファンランからはバイクタクシーのおっちゃんの後ろに乗せてもらって、1日数ドルで回れる。
ベトナムというと熱帯雨林というイメージだけれど、実は乾燥地帯もあるのだ!
だから、こんな上空からでも巨大な浜のように見えるのである。

最終目的地までに何カ所か経由してゆく便でいいところと言えば、なんと言っても食事が何回も出てくるところだ。
特に、到着時間が深夜になる時などは重宝する。
マズいだの、種類が少ない、量が少ないなど、いろんな事を言う人もいるが、私は結構これが気に入っているのだ。
ただ、今回の座席はエコノミーのほぼ最前列なので、前のビジネスの席の料理がチラチラと見える。
こっちはトレーにのせられた「弁当箱」みたいなものだが、向こうは違う!
なにせ、一応コース料理になっているので、いちいちお皿で出してくる。 
うらやましい!........ような気がする。
本来、私はあまりそうゆうような願望は強くないのだが、こうビジネスと接近した座席では、流石に差を感じてしまう。
という私も、今までに何度かビジネスには乗ったことはあるのだが、遠い昔にこんな滑稽なことがあった。
私は、大阪の枚方市に学生時代からの友人エヌ氏がいるのだが、もう15年くらい前になるだろうか?
かかってきた電話で、たまの週末何かパーと遊びに行こうという事になり、まだバブルの余韻も冷めきらないなか、ソウルへ土日1泊2日で観光に行こうという事になった。
KIXのフライト時間は16時、NH177便、OZ9113との共同運行便。
あの頃は、今はやりのLCCなど無かったので、チケット代は結構な値段がした。
今から思うと馬鹿げているが、バブルというのは恐ろしい!
その時は何とも思っていなかった。
エヌ氏も私も、土曜日は午前中、12時まで仕事をしていたので、16時フライト時間というのは、ややシビアーな時間だった。
案の定、2人とも締め切り間際の1時間前にカウンターに滑り込んだのだが、NHの職員から意外な答えが!
「今日はエコノミー満席ですから、ビジネスにアップグレードさせていただきます。」
オーバーブッキングだったのだ。
ラッキーではないか~!!
昔からそうであるが、エヌ氏と連んでいると、不思議といつも幸運なことが舞い降りる。
喜び勇んで、ゲート前まで行き、30分前には優先搭乗!
シートに座ると、やはり全然違う!
エヌ氏も感激している!
さあ、次はどんな食事が出てくるのかな?
エコノミー料金なのに、図に乗っていた私達はその後、下界に突き落とされることになったのである。
周りのビジネスの客は当然コース料理だったが、自分達だけあの「弁当箱」が出てきたのだった。

マニラ空港で苦い「洗礼」を受けた私は、しばしの空港散策を終えて、再びきれいになった機内へと戻った。
14時40分、定刻通り機体はバンコクに向け、飛び立った。
マニラまでとなりに座っていた日本人のおじさんは、今度はアジア系のおばさんに変わっている。
機内を見回すと、先ほどまでたくさん乗っていた日本人は、めっきり少なくなり、代わりに、タイ人なのかフィリピン人なのか、いずれにしても東南アジア系の人々で埋め尽くされている。
ここまで来ると、機内まで、外国気分が充満してくる。
どこか空気が違う!
満席なのに、なぜか開放感が!
もう普段の仕事のことなど、すっかり思い出さなくなる。
ああ~!開放されていく~!
ストレスが抜けていく~!!
窓に目をやると、離陸してまだ5分しか経っていないのに、もう海上に出ている。
南シナ海だ!

このまま海上を西に飛び、ベトナム、カンボジアの上空を経て、タイまで約3時間。
にわかにワクワクしてくる。
さっき受けた「洗礼」の、イヤな感じなどもうどこかに行ってしまった。
そして、ほどなくして、2回目の機内食が配られはじめた。

TG621便でマニラ空港に着いたバンコク行きの乗客は、機内から一度空港ターミナルに出され、1時間ほど機内清掃を待つことになる。
その時、フィリピン入国の乗客は右側の通路へと進み、バンコク行きの乗客はプラスチック製の番号札をもらって、左側の入口から待合室へと誘導される。
トイレに行きたかった私は、その当時、いくら何でも空港ということもあって、何の恐怖心も持つことなく待合室のトイレへと駆け込んだのだが、その後いきなり「洗礼」を受けることになるのである。
ここは空港だから、当然あちこちいたるところに様々な職員がいて仕事をしている。
もちろんトイレにも若い男性職員がいて、掃除をしたり石鹸の交換などをしていた。
その時は、別に何の疑いも持たなかったのだが、用をたして洗面所で手を洗おうとすると、その職員は飛んできて水の蛇口をひねってくれるではないか!
なんと親切だなあ~!
と、思っていると、今度は、手を拭く紙まで取って私にくれるではないか!
本当に親切だなあ~!!
感心しているのもつかの間、「洗礼」はやってきた。
そのまま礼を言って立ち去ろうとすると、
「マネー、マネー」
私は思わず「はあ~???」
それにたいして向こうも「はあ~?」という表情をしている。
最初は何が起こったのか全く理解不能だったが、数秒のうちに状況が把握できるようになってきて、一瞬頭でどうこの場を処理するのがベストか考えた。
要するに私が経験不足で甘かったのである。
マネーと言われても、フィリピンペソなど持っていない。
そこで、ポケットに小銭があったのを思い出し、その中から穴の開いた5円玉をひとつ、恐る恐る差し出してみた。
さあ、どう反応するか?
彼は、5円玉を眺め不思議そうな顔をしつつも、ニヤニヤしながら立ち去って行った。
当然、彼は、5円玉の価値がわからなかったのだ。
結果的に、この勝負は、5円の授業料で済んだ。
別に、無視して立ち去ることも可能だったが、サービスに対してチップを払わない奴と思われてもイヤなので、それ以降、マニラ空港のトイレを使う際は、ボーイがひねった蛇口とは違う蛇口を、自分でひねることにしている。